今回は2019年9月号の特集1「縛られる学校、自らを縛る教師たち」をもとに議論しました。
特に議論になったのは、(1)1970年代からみられた管理主義と、現在のスタンダード化では、その性格や背景にどのような違いがあるのだろうかということでした。
もう一つは、(2)学校・教師が自らを「縛る」状態が広まるなかで、こうした状況をいかに打開する展望があるのかということでした。
(1)については、「教員文化の収縮とマニュアルによる代替」(松田洋介論文、36頁)や、学校で共有されてきた(とされる)規範が教師を「縛る」資源(=相互行為のなかで参照されることで、対象を理解する枠組みとして使用されうるもの)となっている(鈴木雅博論文)という説明もありますが、もう少し現在の情勢とその背景をクリアに記述できないだろうかという期待も生まれました。
何かおかしいと思うことがあっても、それを口に出してよいものか、口に出してしまったら孤立するのではないか、そうだねと言ってくれる人がいなかったら・・・お互いがそのように思い、とりあえず「決まっている」こと、「やらなければならない」ことを相互確認し続けるうちに自縄自縛が強まっていく状況は指摘できそうですが。
(2)については、塩崎さんや曽和さんの対応にその糸口をみることもできそうですが、より若い世代の教師に同じことができるだろうか。どうすればいま、中堅の世代の経験と戦略をより若い世代に継承していけるのかについても考えていかなければならないのでしょう。(本田)
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