道徳と教育を考える会7月例会(隔月開催)

日時 2021年7月11日(日)
10:00~12:00
会場 みやぎ教育文化研究センター
会場の詳細はこちら
参加費 無料
テキスト 当日、配布
内容

江戸期における教育事情を探る

前回に引き続き貝原益軒の教育観について、今回は彼の著作の一つである『和俗童子訓』の抜粋資料をもとに学習を行います。
興味関心のある方は、是非ご参加ください。お待ちしてます。

なお新型コロナウイルスの感染防止のため、健康不良の方は参加をお控えください。また参加の際には、手洗いマスク着用など感染防止にご協力ください。
感染状況によっては残念ながら中止とせざるを得ないこともあります。中止など変更の場合は、ホームページでお知らせいたしますので、事前にご確認くださいますよう、よろしくお願いいたします。

前回の
様子

5月例会の前半は、江森一郎著『「勉強」時代の幕あけ-子どもと教師の近世史』をテキストに読み進めました。
寺子屋教育では、今日のような一斉授業ではなく基本は個別指導で、子どもの能力や進度に合わせて行われたこと。また能力や進度に合わせての個別指導であるために、子どもたちは天候や通学距離あるいは農繁期における作業による欠席などしても、子どもは挫折や混乱を感じることなく、圧迫感を感じることも少なかったという。
日本歴史における文化史・生活史を考えた場合、内藤湖南の提唱以来、室町時代の(応仁の乱)が分水嶺になっており、古代から中世までに培ってきた日本文化はすっかり壊れてしまったと言われている。しかし女性文化史に限って言えば、「平安期に確立した価値観・美意識が、基本的には持続されてきた」と考えられるという。そして江戸期には、平安時代的な女子教育思想と、これに一方では対立する儒教的なものとが融合させられた女子教育がなされたという。そのような女子教育のあり様を示すものとして、著者である江森は、どんな身分の女性でも「文字習得は必須の教育・教養」として考えられていたこと。他方で「男女七歳にして席を同じうせず」の教えが流布し、女子の「家庭内閉じ込め」が進んだことなどを挙げている。
さらに幕末にかけては身分制社会でありながらも「封建社会の危機意識」が高まるなかで機能的平等観が形成され、武士間には身分制の原則とは異なる業績主義、能力主義的な意識や価値観が受け入れられるようになっていたという。このようなことが、明治維新という大改革が大きな混乱もなく行われた背景の一因にあるという。また競争主義教育が行われた代表的なものとして熊本藩の時習館や、広瀬淡窓の咸宜園が上げられている。
なお今日わたしたちが使っている「勉強」という言葉は、『中庸』において登場し、漢文の基礎を習得した者たちにとっては、すでに耳になじんだものになっていたという。
例会後半は、科学的精神に旺盛で進歩的ありながらも、同時に非常に保守的であり、経験的合理主義者であるという貝原益軒の教育観を、太田先生作成の『大和俗訓』資料(天地万物の理、天地の恩、天道、学道の志、誇るべからず、小学と大学、君子の道、学の道、心は天君なり)で読み進めました。