4月の会は、儒学者の伊藤仁斎の思想について学習していきました。
1)伊藤仁斎は、1627年に京都に生まれて育ち、1705年に京都で亡くなった儒学者であり、17世紀・江戸前半期を生きた京都を代表する学者と言える。彼は京都の恵まれた町人の家の生まれで、京都の様々な文化的ネットワークを有し、そのような中で育ち、自らの思想を確立していった。
2)仁斎は、まず朱子学を学び深く傾倒し、自らの号を朱子学を敬うという意味で「敬斎」とした。しかし、のちに朱子学の空しいことを悟って、朱子学を脱し「論語」に帰る儒教の教えを説き、自らの学を「古学」と称した。論語を広めた代表的思想家である。また自らも愛を意味する「仁」を用い、孔子を敬愛するという意味で号を「仁斎」と改める。
3)仁斎の儒教思想の特徴としては、次のようなことが上げられる。
①朱子学による儒教の教えではなく、原点に返り論語による儒教の教えを説いた。伊藤仁斎は、「論語」は「最上至極宇宙第一の書」であるとし、それは日常から離れず平凡無奇で、もっとも偉大な書であるとした。
②宇宙万物の運動・生成のなかに現れる「道」は、平易な日常生活の中に「人倫」として存在し、人はその「人倫」のなかで生きている。その「人倫」を実践することが「孔孟の学」であるという。そして「仁」の思想を中心に実践することを説いた。他方で、朱子学は理を極めようと「高遠な議論」を展開するが、そもそも人間にはそんな力はない。にもかかわらず極めようとするゆえに虚無に陥り、また理による判断は人を残忍にして「仁」(愛)から遠ざかるとし、日常生活における「仁」、愛の実践に帰れと説く。
③高遠なものは虚妄で危険であり、卑近(日常)が大事であるとした。また一般的に思想の世界では「情」や「欲」を低くみるが、仁斎はこれらの大切さをこそ説いた。
④仁斎の思想全体の中心は「仁」だが、もう一つの中心が「動」。この宇宙・世界は何一つとして動かないものはない。生きるとは動、すなわち運動であるという。
※ 上記の特徴を踏まえながら、後半は伊藤仁斎の『童子問』の抜粋資料を読み進めた。
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