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道徳と教育を考える会 6月例会(隔月開催)

日時 2022年6月19日(日)
10:00~12:00
会場 みやぎ教育文化研究センター
会場の詳細はこちら
参加費 無料
テキスト 当日、配布
内容

江戸時代の教育事情

今回は、新井白石の思想について学習していきます。興味関心のある方は、是非ご参加ください。お待ちしてます。

なお新型コロナウイルスの感染防止のため、健康不良の方は参加をお控えください。また参加の際には、手洗いマスク着用など感染防止にご協力ください。
感染状況によっては残念ながら中止とせざるを得ないこともあります。中止など変更の場合は、ホームページでお知らせいたしますので、事前にご確認くださいますよう、よろしくお願いいたします。

前回の
様子

4月の会は、儒学者の伊藤仁斎の思想について学習していきました。

1)伊藤仁斎は、1627年に京都に生まれて育ち、1705年に京都で亡くなった儒学者であり、17世紀・江戸前半期を生きた京都を代表する学者と言える。彼は京都の恵まれた町人の家の生まれで、京都の様々な文化的ネットワークを有し、そのような中で育ち、自らの思想を確立していった。

2)仁斎は、まず朱子学を学び深く傾倒し、自らの号を朱子学を敬うという意味で「敬斎」とした。しかし、のちに朱子学の空しいことを悟って、朱子学を脱し「論語」に帰る儒教の教えを説き、自らの学を「古学」と称した。論語を広めた代表的思想家である。また自らも愛を意味する「仁」を用い、孔子を敬愛するという意味で号を「仁斎」と改める。

3)仁斎の儒教思想の特徴としては、次のようなことが上げられる。

①朱子学による儒教の教えではなく、原点に返り論語による儒教の教えを説いた。伊藤仁斎は、「論語」は「最上至極宇宙第一の書」であるとし、それは日常から離れず平凡無奇で、もっとも偉大な書であるとした。

②宇宙万物の運動・生成のなかに現れる「道」は、平易な日常生活の中に「人倫」として存在し、人はその「人倫」のなかで生きている。その「人倫」を実践することが「孔孟の学」であるという。そして「仁」の思想を中心に実践することを説いた。他方で、朱子学は理を極めようと「高遠な議論」を展開するが、そもそも人間にはそんな力はない。にもかかわらず極めようとするゆえに虚無に陥り、また理による判断は人を残忍にして「仁」(愛)から遠ざかるとし、日常生活における「仁」、愛の実践に帰れと説く。

③高遠なものは虚妄で危険であり、卑近(日常)が大事であるとした。また一般的に思想の世界では「情」や「欲」を低くみるが、仁斎はこれらの大切さをこそ説いた。

④仁斎の思想全体の中心は「仁」だが、もう一つの中心が「動」。この宇宙・世界は何一つとして動かないものはない。生きるとは動、すなわち運動であるという。

※ 上記の特徴を踏まえながら、後半は伊藤仁斎の『童子問』の抜粋資料を読み進めた。