今の時代は、危機と言うよりもう既に脅威の時代だと話されました。われわれの生存を脅かしつつ目の前に迫ってくる動態です。本当にそうだと思います。脅威に直面したときには、判断力が大事だと言われましたが、私は、判断する以前に、この脅威の時代を脅威と感じていない人があまりにも多いと感じています。それは、H.Wルイスの言っているような確率論にだまされているのもあるのでしょうが、みんながのんきに構えすぎていて、愕然とします。福島原発が爆発して、まだその処理も終わっておらず、汚染水も出続けているのに、もう既にそのことはなかったかのように、原発を再開するだけでなく、60年以上運転させるというのです。正気とは思えません。
この脅威を脅威と認識してもらうためには、どうしたらいいのかと考えます。
U.ベックの「危険社会」論では、「規範的な見方がなければ危険の危険たるゆえんも知られない。自然とは何か、人間とは何かということの規範を持たなければ危険はわれわれの目には映らないのである。」と書かれていました。ということは、「規範的な見方」「規範意識」がとても重要だということです。子どもたちが、また国民がこの「規範的な見方」を持つためには、どうしたらいいのでしょう。
「科学の自己反省」の項では、「科学は、真理を追究する能力を失った存在になってしまった。真理を喪失すると科学は人間的になる。科学は誤謬と欠陥に満ちたものになる。」 と書かれています。まさに今のチャットGPTのようなAIの問題です。もうこれは、欠陥に満ちています。それを開発した米オープンAIのサム・アルトマンでさえ、戦争の道具として使われる危険を述べています。
誰もが欠陥があることを認めながら、それでも何とかなると思って、良い使い方を探っている。楽観的すぎます。太田先生は、近い将来、コンピューターのもっと大変な危機が訪れるとおっしゃっていました。どうなっていくのか、とても心配です。ベックは、「真理を失った科学はむしろより良く、より誠実に、より幅広く、より生き生きと、より大胆に進歩することができる」と書いていますが、このままで可能性が生み出されていくのでしょうか。
今回は、疑問がたくさん生まれました。この疑問を持ちつつ、次回も読み深めたいと思います。
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