10月28日(土)、10月例会を行いました。参加者は10名、小・中・高・大の教員に大学院生、さらに市民のみなさんの参加もあり盛会でした。
今回は、『教育』10月号の特集1「どうする教科『道徳』」から、理論的分析と課題を提起した佐貫浩論文(「特別の教科『道徳』の性格―私たちの対抗戦略を考える」)と、実践的取組みを報告した原田真知子論文(「子どもの『ふだん』と『なぜ』からはじまる道徳教育」)を読み、話し合いをしました。
佐貫浩論文に関わっては、次のような論点が出ました。
◆年間35時間として「1時間1教材」をほんとうにやり切れるのか?トータルな授業時数も過密化するなかで、無理が生じないか?
◆予定されている記述的評価については、かつての「通知表オール3」作戦を彷彿とさせる「『よくがんばりました』などの完全同一評価」(12頁)の対抗策も示されているが、実際には、現在の「総合的な学習の時間」の記述式評価が事実上3段階の標語形式になっているのと同じことが起こりうるのではないか。また、道徳は、週35時間の「道徳」の教科のみで評価されるのか?それとも学校生活全体を通じて評価されるのか、教科の「学びに向かう力、人間性等」の観点との関りはどうか?
◆福島論文路線で考えれば、改訂指導要領の特別活動には、まず子ども自身から…と明記している。道徳もそのように読み替えることができるのでは?
◆道徳の教科書については、宮城県では小学校で東京書籍版が採択された。来年は中学校版の採択になるが、教育委員会が採択に関する基準を設けて、教育勅語の道徳観・徳目のリバイバル版のごとき「問題の多い教育出版の教科書」(48‐50頁)が採択されやすいような仕組みを作ってくる可能性もある。
原田論文をめぐっては、次のような論点が出ました。
◆そもそも、このような実践が可能なこの学級の親たちの関係、親と原田先生との関係はどうなっているのか?
◆いまは、「ゆーくん」のような子の親が自分の子どもの言い分のみを信じ、自分の子どもの話だけを聞いてくれと担任に要請してくることも多い。原田学級ではどうなのか?
◆親にとっては、たとえば学級通信が出しにくくなるなど学級のことはなかなか知ることが難しくなり、だからこそ子どものことばを信じるしかない状況もある。といって、一人の子どもの言い分だけを信じると、ほかの子ども、親、教師の言ってることすべてが間違っているというおかしな判断になってしまう。
◆「子育ての私事化」が進む中、教育委員会も親とは対決しない。全部受け入れて、学校に抱えさせる。
当初は、特集2「子ども食堂『ブーム』を超えて」も読む予定でしたが、特集1の話が弾んだこともあって、残念ながら時間が取れませんでした。
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