6月の会は参加者6名で、『教育』2018年6月号を読みました。
特集2「格差社会を生きる大学生」については、児美川孝一郎さんの論稿(「格差社会のなかのキャリア教育」)が、どんな「キャリア教育」を政策・財界側が押しつけようとし、これに対して、私たちの社会権や労働権を保証するためにどんな「キャリア教育」を対抗的に打ち出していくか、明快に書かれていてよいという感想がありました。
大学教育の取り組みもそれぞれに興味深いものでした。「教育実践」という枠組みで高等教育の取り組みも位置付ける視角からは、このような「大学教育実践」レポートがもっと必要かもしれません。
特集1「『大学版学習指導要領』と教員養成」については、教員養成に携わっている方でない読者にとっては、なかなか読むのが大変だったという感想もありました(特集に関わった一人として反省もあります)。
一方で佐藤隆論稿(「教師の仕事を枠づける文科省流資質能力論」)からは、いま学習指導要領が掲げる「資質・能力」がそもそも教員養成の文脈で出された経緯を思い出しつつ、「教職コアカリキュラム」策定など一連の教職課程統制の進行が何をもたらしているかを知ることができてよかったという声もありました。
皆で輪読したのは拙稿(「『教授学』の再生をめざしてー国立教員養成系大学の動向と展望」)で、自分の文章がまな板の上にあがるのは大変な緊張感でした(笑)。
学生のことを顧みず学問の専門性を振りかざすのでもなく、かといって政策が「育成指標」で求めるような狭く画一的な「実践性」でもない「第三の道」を探る必要があるのではないか?
そんな問題意識から、私自身は、宮城教育大学の歴史のなかでいっとき光を放ち、いまはどちらかというと埋もれがちな「教授学」に光を当てなおしたいと考えています。
創造的な授業の過程それ自体を研究の対象にするという学の構想。未だ未完のこの課題を、今日と将来の動向を見据えながら再創造していければと考え、打ち上げ花火としてこの論考を書きました。(本田)
本田さんをまな板のうえに乗せて、ごめんなさい。論考を読みながら自らの学生時代のことを思い出し、そう言えばそういう事もあったなあ、あの取り組みはそういう背景や思いがあったのかと、当時のことを振り返りつつ読ませてもらいました。(キヨ)
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