3月はデュルケームの道徳教育論です

ゼミナールsirube 3月例会

日時 2019年3月18日(月)
13:30~16:30
会場 みやぎ教育文化研究センター
会場の詳細はこちら
参加費 無料
テキスト 当日配布
内容

太田先生作成の資料をもとにしながらデュルケームの道徳教育論を中心に読み進めていきます。どうぞご参加ください。

前回の
様子

エレン・ケイ(1829年―1926年)はスウェーデンの裕福な貴族の家に生まれた。彼女の生きた時代は19世紀後半の激しい革命・労働運動の時代であり、他方では前回スペンサーの際にも触れたダーウィンの進化論が社会を席巻した時代でもあった。このような時代の中で彼女は婦人解放思想家として、また教育思想家として大きな役割と業績を果たしていった。今回は、彼女の代表的著作である『児童の世紀』を読み進めながら彼女の教育思想についてみていったが、太田先生に言わせれば、彼女の婦人解放思想と教育思想とは一体であるため、両者についてきちんと押さえておく必要があるという。
そのことは『児童の世紀』の章立て構成において、第1部が主に婦人解放に関わる内容、第2部が主に教育に関わる内容で構成されていることからも、実は見て取ることができる。
この婦人解放と教育という接点に関わって、エレン・ケイの思想を大きく特徴づけるのが「母性」である。彼女は次のように述べている。
「婦人は国民の最も尊い宝ではない。母となった者または母となるべきものが国民のうちの最も尊い部分であって、社会が母性の機能を守るときに要求するのは、彼女たちの最良の健康状態である。母性の機能は子どもの出産または授乳によって終わるのではなく、教育期間中継続すべきである。新しい社会では、母性の機能はおそらく社会全般のために重要視され、どんな母親でもある条件とあるコントロールのもとで、ある期間ある数の子どものため、子どもの養護をまるまる必要とする期間中、社会から養育手当てをうけ、生活費を稼ぐための家庭外労働から免除されれうようになるであろう。」
以上のように、彼女は国の最も尊い存在として母をおき、その「母性」の保護と養護を主張する「母性主義」の立場をとりました。そのため子どもを産む女性は、自分のことだけではなく、母性を視野に入れ、そのことを優先させて生きなければならないとしました。このような彼女の考えは、男並みの平等を求め、職業に従事して経済的に自立することなどを主な運動課題としていた当時の婦人解放運動とは意見を異にし対立していくようになっていきました。
では、彼女は教育に対してどのように考えていたでしょうか。太田先生の資料をみると当時の教育、子育てについては「私はいまだかつて、よく教育された人間を見たことがない」と厳しく指摘し、また大人たちは子どものことをまったく理解できておらず、理解しようともせず、子どもたちの成長をしょっちゅう妨害し干渉し矯正して引きずり回しているとも言っています。
彼女にとっての子育て・教育の基本は家庭であり、また家庭学校です。これらの捉え方の根本にあるのは、先に見た「母性主義」によります。その点で彼女の婦人解放の考え方と教育についての考え方は一貫しています。また19世紀後半からの激動の時代のなかをそれら時代の影響を受けつつ、よりよい人間、よりよい社会を求めて自らの思想を展開していきました。その意味では、時代の大きな変革期にありながらも彼女は悲観せず、未来について大いなる希望を持っていたと言えます。

では彼女自身は、子育て・教育について、あるいは社会のあり方についてどのような考えや展望を持っていたのでしょうか。先に彼女の生きた時代は革命や労働運動の時代であり、またダーウィンの進化論が大きな衝撃を持って迎えられた時代だと述べましたが、それらの影響のなかで、彼女はよりよい人間、よりよい社会を求めて自らの思想を展開していきます。その意味では、時代の大きな変革期にありながらも彼女は悲観せず、未来について希望を持っていたように思います。