『教育』を読む会 5月例会

日時 2019年5月25日(土)
10:00~12:00
会場 みやぎ教育文化研究センター
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参加費 無料
テキスト 『教育』2019年5月号
内容

特集1 教育実習 出会いと学びあい
特集2 政治的中立性と教育の自由

特集1は、教職を希望する大学生の教育実習を通して教師教育のあり方と教育現場の課題を問うものと言っていいのだろうか。5月号「とびらのことば」は、特集への思いを

教育実習は、教職課程の一科目である以上に、「“私という一人の人間”が全力で子どもと出会う場」です。そこで、実習生たちが紡いだ〈教室の物語〉が大切にされ、その振り返りからともに学び合う関係性を構築することが、彼らの指導にあたる者の課題ではないでしょうか。本特集が、そんな教師教育者のあり方を考える一つのきっかけになれば幸いです。

とある。かつて宮城教育大学は、教師教育あるいは教師養成教育の先駆的な役割を果たそうと様々な試みをした大学だったはず? しかし今日ではその面影はほとんど消えうせているようにも思われる。

引用にある「彼らの指導にあたる者」とは誰なのだろう? 誰をさしているのだろうか? 実習生の指導に直接あたる現場教師はもちろん?だが、一番は学生の最も身近におり指導に当たる教師養成教育を担う大学関係者たちではないだろうか。教育実習に求められるものは何なのか、どう位置づけるのか。それらのことを考え合いたい。
たびたび戦後教育史のなかで学校現場を混乱に陥れ、議論されてきた「政治的中立性」と「教育の自由」。今また主権者教育や憲法「改正」問題を議論する教育に対して、「偏向教育ではないか」という圧力がかけられるようになってきているようだ。特集2では、このことの関係をみんなで考え合いたいと思います。

前回の
様子

4月27日(土)に行いました。今年度こちらの大学に赴任されてきた方など新たな参加者も迎え、10名の参加者でぎやかな会となりました。

今回は『教育』4月号のうち、第2特集「頼りあえる親と教師に」のなかから、大日方真史論文を中心に読み合いをしました。
大日方論文のタイトルにもある「評価のまなざし」には教師も親もさらされていて、子どもが育つことをともに願ってはいても、お互いに「相互非難」しあう構図に陥りがちでもあります。

管理職が事なかれ主義的に、親からの教師へのクレームをそのまま当の教師への対応に直結させてしまい、その教師が一方的に非難されたり責任を問われたりすることの理不尽さについても話題になりました。
竹澤さおりさんのように学級担任が保護者にお願いすることも大切(「ここからはじまる保護者会」)ですし、なかには親に「皆さんも保護者一年生だから」とまでいえる先生もいるけど、なかなかそういうふうにはいかないもの・・・。
論文で紹介されている小学校教師の平野ナナさんの例については、子育てしたことのないあんたに何が分かるんだという父親に対して「わからない」ことを開示し、信用を勝ち得たとある(86頁)が、ここまで開示することでかえって親からの攻撃を受けることもあるのではないか、また、ここで紹介されたことばのやりとりの裏にもっと無数のことがらがあったのではないかという考えも出されました。
つまるところ、この論文で紹介されているエピソードと判断・行為を表面的に理解して実行するようなことがもしあれば、「評価のまなざし」に縛られがちな教師にとっても親にとっても、かえって事態が悪化しかねないのでは。その点を注意して読まなければならないのではないかということでした。

親をつなぐことに関しては、保護者会で、他の親から子どもの学習進度などについて「慌てることはないよ」「うちの子もこうだったから」というような話が聞けると安心できることもあるようです。
教科担任制の導入が検討されていることにも関わって、少なくとも中学校のように、複数の眼で子どもをみていくことは小学校でも大切なのではないかという話もありました。