12月は、休会とします。

『教育』を読む会 1月例会

日時 2021年1月23日(土)
10:00~12:00
会場 みやぎ教育文化研究センター
会場の詳細はこちら
参加費 無料
テキスト 『教育』2020年12月号、2021年1月号
内容

【12月号】
特集1 優性思想をこえる
特集2 コロナ禍の今、教員の働き方を問う

やまゆり園事件から4年半を数えようとしている。彼の行動を直接規定しているとみられる優性思想は過去のものでは決してない。今を生きる私たちの社会に依然として深く浸透している。優性思想は、人間存在に対し「役に立つ」「生産性の有無」という一部の価値に依拠し、その価値に基づき人間ををはかろうとする思想である。「事件」が投げかける教育への問いを受けとめ、優性思想について考える。それは、人間存在の意味を根本からとらえなおし、教育とは何かを考えることだろう。
特集2では、コロナ禍のなかで、教育に今ほんとうに必要なものは何かが見え始めてきた一方で、ここぞとばかりに子どもや学校現場・教師不在の教育「改革」が推し進められようとしている。教員の働き方を中心に教育の今を問う。

【1月号】
特集1 だれのための高校改革か?
特集2 現代社会と教育実践の基本課題

高校教育に改革の波が押し寄せている。それは高校教育、大学入試、大学教育の三位一体の改革であり、これまで以上に教育産業が深くかかわるものである。教育内容が ❝ カネ ❞ になる能力の効率的な習得に矮小化され、進路が教育産業の提供する「模試」によって左右され、オンライン教材への依存が授業の画一化をもたらす。こうして生徒が授業で様々な文化・価値と出会う機会が奪われる。そういう危険性が見え隠れする。一体、誰のための教育改革なのか。高校生に補償すべき学びとは何か。特集1では、そのための教育課程づくりについて考える。
『教育』では、これまでも新自由主義に対抗する教育のあり方について論じてきているが、「教育実践」を深めることこそ今求められる大切なものだと考え、教育実践における子ども把握の発展、教師の生き方の問いなおし、そして社会変革への展望を特集2では論じる。

 

前回の
様子

『教育』を読む会11月例会の感想

11月28日(土)10:00~12:30、参加者は、10名でした。
今回は11月号の第1特集「コロナ禍と教育-その危機と希望」から、佐藤隆論文「コロナが照射する日本の教育課題」と、寺尾昂浩論文「コロナ禍と教育-そこに見えてきたもの」を中心に話し合いました。

佐藤論文については、主にGIGAスクール構想と教育のICT化について議論になりました。教育のICT化が進み、オンライン上でできることがどんどん増えてくるなか、目先の便利さに飛びついてしまうことによって、学校・教師の自律性が損なわれていくことが懸念されると感じました。話し合いでは、次のような意見が出されました。
〇GIGAスクール構想の予算は、各自治体・学校での運用上の問題を考慮していないのではないか。1人1台iPadが行き渡らず中途半端な数が来てしまうこともある。
〇予算が下りるかもしれないということで申請するところはあっても、PCやiPadのメンテナンスや更新などの費用まではカバーされないのではないか。
〇ICT化の動きそのものは、不可逆的な変化であり、授業と学びの質向上に結びつくような方向に沿う部分もあるのではないか。
〇N高やアメリカのミネルヴァ大学のように、オンライン化で学校の教育活動のかなりの部分がカバーできてしまうような事例が、この先の教育改革の「解」として認識される危険性はある。大学でも、放送大学の講義を導入する動きもあり、教員削減など研究と教育環境の劣化を招く事態も起こりうる。
〇コロナ禍を受けて、いじめ・不登校問題にどうアプローチしていくかが問われる。養護教諭の間でも、みなとの関わりの中で問題を一緒に考えていこうとしていた動きが、感染防止の意識に寄ってしまい、子どもたちを分断するようなことにもなっている。

さらに、寺尾論文の概要を確認し、話し合いを続けました。「学習指導要領体制」(74頁)については、教科書通りに教えることが自明化している現場の状況や、標準授業時数を確保し教科書を終わらせることに躍起になってしまう現状のなかで、これを問うこと自体が難しくなりつつある。あるいは、そもそも問題として認識されなくなっていく恐れもあると思いました。
コロナ禍で学校行事や児童・生徒の活動が精選された(あるいは、せざるをえなかった)点については、授業に集中できる環境ができたという声と、子どもにとって大切なことを培う時間が失われているという声があります。こうした考え方の違いは、特集の各論稿でもみられるし、宮城県・仙台市の自治体や学校のなかでもみられるものだろうと思います。  (文責:本田伊克)