ホワイトヘッドには、体系的にまとまった形で教育思想を論じたものがないため、ここでは彼が様々な場で語ったものをまとめた『ホワイトヘッドの教育論』(法政大学出版会)から、太田先生作成の抜粋資料をもとに彼の教育思想について読み進めた。
彼もまた、これまでに論じてきた多くの思想家たち同様、既存の教育についての厳しい批判者であり、多くの学校が「生気のない知識」「不活発な知識の注入にのみ教育が終始」しており、それがなにより有害だという。教育は「木を手がかりにして、森を生徒たちに見せることに」あるが、そういうものになっていないと苦言を呈し、教育は各科目に寸断されたものではなく、教育全体が唯一の科目であり、「生きるということ」に結びついていなければ何の役にも立たないという。また一般的に教養教育と専門教育は別物として捉えられているが、両者を一体として把握する必要があるという。よって学びの階梯を安易な科目から難しい科目へというような一般的な段階論的をホワイトヘッドは斥ける。
このようなホワイトヘッドの既存教育に対する批判と、自身の教育に対する考えのもとで、興味を惹かれたのは、彼の知的成長の3段階論だ。それはヘーゲルの弁証法に依拠しつつ、知的成長の過程を「ロマンスの段階」「精密化の段階」「普遍化の段階」と名づけている。ちなみにそれぞれの段階について、ホワイトヘッドは次のように述べている。
・ロマンスの段階・・・物事を理解する最初の段階。この段階では理解の対象となる素材が強烈な新鮮さを持ち、豊かな可能性を秘め、露わにされない関係が内包されている。子どもに生じるロマンチックな感動とは、生の事実から出発して、いまだ捉えられない個々の関係がいかなるものかについての認識へ移行する過程で生じる興奮。(出生以来12か年の時期)
・精密化の段階・・・認識相互の関係を正確に秩序だてることによって知識の範囲が拡大。それは基本的段階で、言語や文法を習得する学問の入門期。ロマンスの段階で感じた問題を分析することを通じて、組織だった秩序の中で新しい事実が発見さる。(中学校、高等学校の時期)
・普遍化の段階・・・ヘーゲルの総合にあたる。秩序付けられた概念や専門的知識をもってする、ロマンティシズムへの復帰の段階。それは精密化を推し進めた結果である。(大学、あるいはそれに類する教育の時期)
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