『教育』を読む会 2月例会

日時 2021年2月20日(土)
10:00~12:00
会場 みやぎ教育文化研究センター
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参加費 無料
テキスト 『教育』2021年2月号
内容

【2月号】
特集1 コロナ禍で問われる学校の役割
特集2 教科研の教育学入門Ⅰ

新型コロナウイルスの感染拡大による一斉休校からもうすぐ1年、また東日本大震災から10年が経とうとしています。そこで共に問われてきた(いる)のは、そもそも学校とは、教育とは何かということです。
特集1は、今回のコロナ禍で問われた学校の役割、教育の役割を問うとともに、そのことを通して見えてきた課題や子どもたちと向き合い取り組まれた教育実践などを語ります。
特集2は、教科研委員長経験者である田中孝彦さん、佐貫浩さん、そして現委員長の佐藤広美さんの3人が、戦後教育の事実と実践に寄りながら、その中で教科研における教育学研究は何を問い探求してきたのか、ご自身の研究の歩みも交えて論じます。
今回は、これらの特集から私たちの今を問いなおしたいと思います。

前回の
様子

『教育』を読む会1月例会

2021年1月23日(土)10:00から、新たに大学院生1名を迎え、大学・教職員、センター関係者あわせて9名が参加しました。
今回は、『教育』2021年1月号の第1特集「だれのための高校改革か?」のなかから、本田伊克論文「切り崩される高校教育の基盤」(pp.6-12)と、篠原岳司論文「ローカルな課題と共にある奥尻高校の教育課程」(pp.36-43)を中心に読み、話し合いを行いました。
文部科学省が高校教育改革において想定している社会像と、たとえば、AI技術に代替されない人間の強み、「現実世界を理解し意味づけできる感性や倫理観・・・、ジレンマや想定外の事態と向き合い調整する力、責任をもって使命を遂行する力」(7頁)などをそもそも高校教育までに保障できるのか、こうした力を学校にいる間で効率的に育て、評価することなどできるのだろうかという意見がありました。
そもそも、国がこれからの社会が予測可能であり、それに対応できるようにするような道筋を、カリキュラムとして計画しきれるものなのかという意見もありました。やはり、「教育的発想なき高校教育改革のススメ」なのかな・・・と思います。
また、大学入試改革の動向と現在の顛末をみると、入試を抜本的に変えることで、高校教育と大学教育をも改革することがほんとうに可能なのか、そもそもこの社会で支配的な位置を占める人たちは本気でそういうことを考えているのかという論点も出ました。
県立高校でもICT端末・機器や無線LANの整備がされつつある状況を受けて、コンテンツの学習についてはICTの力も活用し、授業ではコンピテンシーに関わる、考え方を身につけることや言語活動などを中心にしてはどうかとも考えるが、教職員の数も多く、なかなか一つにまとまらないという話もありました。
篠原論文に紹介された奥尻高校の取り組みに関しては、島根県の隠岐島前高校が先行的な取組みをしていたという情報もありました。ローカルな課題と共にある高校教育において、「地域課題解決学習を更なる『真正の学習』に」(p.41)に関わって、生徒たちが取り組んだことが、地域の社会と行政にどれだけ受け止められ、その政策や決定に影響を与えているのかについてさらに知りたいというリクエストもありました。地域住民の学校参加は進みつつあるが、都市計画への参加とはなかなか結び付いていかない現状もあるようです。奥尻ではどうなのでしょうか。さらに知りたくなりました。
高校がどのような生徒を育てるか、地域といかに関わっていくか、新たにどのような目標を立て、学校づくりに取り組んでいくか。その際に、「高校の新たな組織基盤は、学校外部にある何らかの社会的ネットワークのなかにどのような位置取りを確保できるかに依拠」(p.11)したものになります。この社会的ネットワークにどれだけの厚みと豊かさがあるかにかかってくるところもあるという発言もありました。
高校生にとっては、テストのことも含め、いま進んでいる教育改革それ自体にも起因する不安のなかで、様々な力を身につけて競えという要求ばかりが突き付けられているように思います。「生徒置き去りの高校教育改革に抗う教育課程づくり」(p.12)、高校生に保障すべき「共通体験・教養」(池田考司論文p.50)を軸に据えた教育課程づくりを、ほかならぬ生徒たちのために拓いていくことが大切です。その手がかりとなるような理論的・実践的知見の提起については、さらなる課題として残されました。(文責:本田伊克)