『教育』を読む会 3月例会

日時 2017年3月18日(土)
10:00~12:00
会場 みやぎ教育文化研究センター
(仙台市青葉区柏木1-2-45 フォレスト仙台ビル4F)
参加費 無料
テキスト 『教育』3月号
内容

特集1 「悲しみ」と教育 ―被災地で、水俣で、
特集2 こんな教育、してみない?

人はかけがえのない大切なものの喪失をまえに悲しみ、苦しみ、悩み、後悔する。時には大きな怒りをも生じる。しかし、それらの喪失を生きるなかで、その悲しみが人間への豊かさに転化することがあるという。特集1では、このような事実や出来事にもとづきながら、そこにある教育を考える。
特集2は、昨年夏の教科研全国大会のオープニングで語られた「こんな教育」と、渡辺治さんの記念講演を採録している。これからの教育をどうつくるのかを考える。

前回の
様子

2月25日(土)に『教育』読者の会2月例会がありました。
『教育』2月号の第1特集「保育と子育ての教育学」の大宮勇雄論文(「保育と教育の間」)と、第2特集「先走る教育技法」の藤井啓之論文(「PDCAからPDSAへ」)を中心に読み合いました。
大宮論文は、乳幼児期の子どもたちをどのような存在として受けとめ、また大人として関わっていくことが求められるのかを、5歳児の友だち同士のトラブルなどを具体にあげて論じています。ともすれば否定的に捉えられがちな子どもの言動を、子どもによる経験、思考、行動に関する「作業仮説」(10ページ)づくりの過程と捉える視点を教えられました。
また「大人による外的なコントロール」によって、「何が適切かを判断できる力が育ち切っていない」子どもに働きかけていかなければならないという子ども観を、「否定的関係の保育園」にみられるものとしています(7頁)。この点については、一つの保育観としてこのような考え方に基づく保育もありえる(実際にある)ことから、100%否定することはできないようにも思えました。
幼稚園教育要領、保育所保育指針に関わっては、2018年度の改訂において、就学時までに育ってほしい姿として「国旗が掲揚される様々な行事への参加や、運動会などの行事において自分で国旗をつくったりして日常生活の中で国旗に接し親しみを感じることにより、日本の国旗や国際理解への意識や思いが芽生えるようになる」とあることが、今テレビや新聞を賑わせている森友学園と関わって話題になりました。また小学校以上の学習指導要領に比べて教育内容・活動の縛りは強くないので、幼稚園・保育園ごとに、それぞれの子ども観に基づいて、それぞれのカリキュラムで実践を行っており、なかなか同じ土俵で成果や問題を共有することが難しいという話も出ました。
藤井論文では、PDCAサイクルの提唱者であるデミングがCheckではなくStudyを強調するPDSAサイクルを提唱し、目標管理型の労務評価をやめるように言っている点が紹介されています。
「主人」が「代理人」を「怠けさせず」、特定の枠組みの範囲内で工夫をさせ成果を挙げることを促す。国や、地方教育行政機構が主人で、学校管理職はその代理人…学校内部では、校長が主人で教職員は代理人…こうして現場の自律性はほとんど失われてしまう。そういう筋でした。
しかし、アクティブ・ラーニング(最近は「主体的で対話的で深い学び」)にせよ、ユニバーサル・デザインにせよ、一番の主人である国は、画一的な取り組みを決してもとめてはいないというスタンスです(実際は、教育現場にあれもこれも投げ込んでカリキュラムを過密にして、あとは工夫してねと言ってるわけで無責任なのですが)。
ならば、行き過ぎた実践の画一化の動きに対しては、すぐ上の「主人」ではなく、いっそ国に、「そこまで国は求めているのか?」と尋ねてしまうのも手だろう。
そんな話も出ました。