ゼミナールsirube 2月例会

日時 2021年2月22日(月)
13:30~16:30
会場 みやぎ教育文化研究センター
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参加費 無料
テキスト 太田直道著『人間教育の哲学史』、当日の配布資料
内容

『精神と情熱とに関する81章』や『幸福論』の著者として知られ、現代フランスの知性を代表する一人であるアランを取り上げます。アランはプロポという、いわゆるエッセイ形式のコラムによる文章群のみで、体系的に教育を論じた著書はありませんが、その中から彼の教育思想をひも解いていきたいと思います。

前回の
様子

昨年12月の例会の内容をまとめた際に、ホワイトヘッドは、教育全体が唯一の科目であり、「生きるということ」に結びついていなければ何の役にも立たないこと。また一般的に教養教育と専門教育は別物として捉えられているが、両者を一体として把握する必要がある。さらに、人間の知的成長を「ロマンスの段階」「精密化の段階」「普遍化の段階」という3つの段階として把握していることを述べた。そして、それぞれの段階を、次のように整理した。
・ロマンスの段階・・・物事を理解する最初の段階。この段階では理解の対象となる素材が強烈な新鮮さを持ち、豊かな可能性を秘め、露わにされない関係が内包されている。子どもに生じるロマンチックな感動とは、生の事実から出発して、いまだ捉えられない個々の関係がいかなるものかについての認識へ移行する過程で生じる興奮。(出生以来12か年の時期)
・精密化の段階・・・認識相互の関係を正確に秩序だてることによって知識の範囲が拡大。それは基本的段階で、言語や文法を習得する学問の入門期。ロマンスの段階で感じた問題を分析することを通じて、組織だった秩序の中で新しい事実が発見さる。(中学校、高等学校の時期)
・普遍化の段階・・・ヘーゲルの総合にあたる。秩序付けられた概念や専門的知識をもってする、ロマンティシズムへの復帰の段階。それは精密化を推し進めた結果である。(大学、あるいはそれに類する教育の時期)

1月の会は、ホワイトヘッドの上記指摘とも関わりながら、より彼の考えを鮮明にしていくものだったように思う。
例えば「一般教育と専門教育」の指摘においてホワイトヘッドは、一体として把握する必要性を述べたが、今回1月のなかでは「技術教育と一般教育」でも「対立させることは誤り」であり、一般教育でないまともな技術教育はないし、また技術教育的でない教養(知的洞察)もありえないと述べ、教育の目指すところは「よく知りよく行うことのできるような能力の育成」であり、理論と実践の密接な統合こそ両教育を充実させる。「知性は決して真空のなかでは働きえない」と、両者の密接な関係について言及している。
教育制度としては「文学に関する課程」「科学に関する課程」「技術に関する課程」の三者が必要であり、どの課程にも他のカリキュラムが含まれていなければならないし、「教育は、生徒に技術、科学、さらには美的鑑賞に関する能力を授けなければならないと同時に、各側面が他のものによっても啓発されるように訓練されなくてはならない」と述べている。ここでは文学が新たに加えられながら、「文学、科学、技術」が三位一体として把握され、教育にそれらが必要なことを説いた。
また「科学の課題は生活経験を形づくっている知覚、触覚、情緒等の流れの中にある諸種の関係を発見すること」だとし、科学は、乱雑で整頓されていない生活世界(経験世界)に根ざしながら、その中に見出される内的諸関係を知的に整理し、常識的思考の道具となるような概念を形成することによって進展してきたのだと指摘している。

1月の例会で資料を読み進めるなか、興味を惹いたのは「想像力」という言葉だった。と同時に、その「想像力」の重要性が、大学(教育)の存在理由や使命として言及されていることも特徴的ではないかと感じた。「想像力」や「大学教育」に関する記述を資料から抜き出すと、例えば

・大学の正当な存在理由は、学問の想像的imaginativeな研鑽のなかに、若者と老人とを結び合わせることによって、知識と人生の妙味との関係を把握させることにあります。大学は知識を与えますがそれを想像性豊かに与えるのです。
・想像力を働かせての思考は精神的効用を促し、知識を一変させます。その雰囲気にもとでは、一つの事実がたんなる事実ではなくなります。それはさまざまな可能性を付与されたものになるのです。
・想像力は事実と分離するものではありません。事実を明確にする一つの働きなのです。想像力は、事実に適用される一般的原則を引き出すことによって、それらの原則一致する 他の可能性を知的に探索する働きです。それは一つの新しい世界の画像を作り満足の行く目的を示唆することによって、人生の喜びをもたらす力なのです。

大学の使命として「創造」はさまざまに語られるものの、「想像」は、それにくらべ語られることが少ないように思う。大学は想像的でなければならないというホワイトヘッドの言及がとても新鮮だ。
主要五教科の学力ばかりが強調される昨今の教育現場を考えると、「想像力」の発揮が大いに関わる文学や芸術などについて、もっと真剣に捉えなおし考える必要があるだろう。