道徳と教育を考える会5月例会(隔月開催)

日時 2021年5月23日(日)
10:00~12:00
会場 みやぎ教育文化研究センター
会場の詳細はこちら
参加費 無料
テキスト 当日、配布
内容

江戸期における教育事情を探る

通常なら4月に会をもつのですが、コロナで1カ月遅れの会となります。
今回は、江森一郎著『「勉強」時代の幕あけ-子どもと教師の近世史』をテキストに学習を行います。
ちなみに、BOOKデータベースでは、本書について《近世の教育状況の実態と特徴を明らかにしつつ、さらに、貝原益軒の教育観の考察から江戸期の教育思想を捉え直し、藩校教師の置かれた立場から現代の〈教師〉の位置をも、逆に浮き彫りにする》と紹介されています。
興味関心のある方は、是非ご参加ください。お待ちしてます。

なお新型コロナウイルスの感染防止のため、健康不良の方は参加をお控えください。また参加の際には、手洗いマスク着用など感染防止にご協力ください。
感染状況によっては残念ながら中止とせざるを得ないこともあります。中止など変更の場合は、ホームページでお知らせいたしますので、事前にご確認くださいますよう、よろしくお願いいたします。

前回の
様子

2月の会では、ロナルド・ドーアの『江戸時代の教育』(岩波書店)をテキストに学習しました。
知日派の社会学者であるドナルド・ドーアが、日本の江戸期における教育をどのようにみたのか。これまでは、主に日本の研究者によるものをみてきていただけに興味のわくところでした。学習は、太田先生作成の抜粋資料をもとに進めました。

これまでは、主に江戸期の教育がどのようなところで、どのような形態や方法によってなされていたのかをみてきました。
以下、太田先生の資料をもとに、江戸期の教育が江戸社会の形成と維持、あるいは人間形成にどのような役割や影響を持ったのかを触れたいと思います。

ドーアは、徳川家康は自らが歴史をつくる立場にあることを自覚しながら「文」の道について、次のように考えていたと言う。一つは、統治の実際的技術の研究を意味し、永続きする統治制度を打ちてること。二つに、学問の奨励は平和の永続を保障する一つの方法である。三つに、文とは道徳の原則を教え込むことであると。
すなわち教育・学問は、支配永続のための手段として考えていたのだ。
このような見方は、儒教の教えを自説や個人的見解をさしはさまず受動的に、そして謙虚に吸収することへと導き、形式的で保守的なものにして行ったと言える。知的刺激や発展的な探求の精神、新たな知識の開拓などは一切求められなかった。知的刺激を受けた知性は安定した封建社会にとっては危険であり、批判的精神の独立は意識的に妨げられていた(寛政異学の禁で処罰の対象となった学者たちの主な罪状は、彼らが新たな学説を唱えたことにあった)。
藩学では、たえず反復することに道徳的効果があると考えられ、丸暗記こそ望まれる完璧さの極致であった。ある藩校では、子弟が「四書五経」全部を丸暗記して読み終えるまで、その内容について知的な考察を一切始めることを許さなかったという。 知的刺激のもと新たな知識を求めた者はごく小数にすぎず、幕末明治維新期に活躍した多くの者が、その教育のもっとも重要な部分を藩校からではなく私塾の教師から得ていることは、上記のような状況を考えれば偶然ではない。
ドーアは、以上のように藩学における学びを、いわゆる「読書百遍義自通ず」「論語読みの論語知らず」と形式的で保守的なものとして描きながらも、他方で儒学による学びが「原理」の学習であったとし、ゆえに原理を具体的な状況にどう適応するかを一人ひとりが判断する可能性を開いていたという。そしてそのような「原理」の学習であったために、儒学の教える忠義が幕末維新期の国家の危機に際して愛国的献身へと変わったとも述べている。

なお、江戸学への関心の高まりから寺子屋教育が注目を集まっているが、ドーアは「寺子屋教育は広い意味での教育のほんの一部」にすぎないと述べ、農民の子は農業を通じて、商人の子は商業を通じてというように家業を通じての「家」における教育、さらに家業の繁昌により経営規模が拡大するなかで制度としても定着していった年季奉公による徒弟教育についても言及している。
そして、このような庶民教育の拡大と普及のなかで、人々の間には「向上」の可能性(階層間の流動化への意識の形成。具体には親譲りの職業からの脱出、すなわちより高い階層への「出世」)という観念が醸成されていった。その観念の醸成が、幕末から明治維新へと近代日本社会の変革のエネルギーにもなったという。