クルプスカヤと言って、すぐわかる人は多くないだろう。ロシア革命の指導者レーニンの妻だと言っても、今やレーニンって誰?と言うようなご時世である。
彼女は、レーニンとともに革命の主要な推進者の一人であり教育文化に関わって活躍。スターリンの時代には冷遇されるなど波乱の人生を送った。
彼女の生い立ちについては『家庭教育論』にその半生をふり返った文章がある。富裕な家庭の子として生まれるが、父親が労働運動などに関わったため左遷され、それ以降は比較的厳しい生活を送る。その中でクルプスカヤは育つ。1894年ごろにピーテル(サンクトペテルブルク)でレーニンと出会う。非合法のパンフレットの出版事業などに従事し、その後、ある紡績工場のストライキに関わってレーニンもクルプスカヤも逮捕される。流刑のさなかで二人は結婚し、それ以降は同志として二人三脚の生活を送る。亡命中は中央委員会の書記を担い、ロシア本国との連絡役をする。そしてロシア革命へ。革命後は、ソビエト政府の教育文化部門の最高責任者として活躍。特にピオネール創設に大きな貢献をする。またソビエト初期の総合技術教育の推進者でもある。
◆クルプスカヤは、イギリスやドイツなど西洋における教育思想に通じており、ルソーを高く評価し、ペスタロッチの実践教育を自分のモデルとして考えていたともいう。他方で、エレン・ケイについては「集団主義に敵対する小ブルジョア的観点の代表者」とし、子どもを家庭に閉じ込めることは最大の弊害であるとエレン・ケイを批判した。というのもクルプスカヤの教育論の根本は集団主義教育のため、エレン・ケイの家庭教育はいわば孤立主義として映る。
またスイスやフランスなどの幼稚園についても一人で聞き、勉強することしか教えていない。大事なのは、子どもたちが集団のなかで共通の労働や、組織上の課題などを解決することを通して、一緒に行動する習慣を身につけることだという。このような視点から、モンテッソリの教育法も、その教育法は「子どもを結び合わせないで、切りはなす点でよくありません。」と批判している。
◆クルプスカヤは、就学前の子どもたちにとって「遊び」は周りを認識する手段であり、「子どもは遊びながら、色、形、物の特質、空間的な関係、数量的な関係、植物や動物を学んでいく」。また遊びは子どもたちの思うとおりにやらせることが大切で、自分で遊びを考え出し、自分たちで目標を立て、決めた目標を実現することを通して、「困難を克服することをおぼえ、周りの環境を認識し、状況からの出口を見つけだします」という。このような教育によって「目標に向かって不屈に突進し、他の人間を自分の側にひきつけ、組織することができる子どもを作ります」とも述べている。
子どもの遊びにおける自主性や能動性の尊重、それを通しての子どもの認識の発達を語る一方、世界最初の社会主義国の建設に向け、迫りくるさまざまな国難・困難に立ち向かう国民教育、国民形成という意識が色濃く反映していると感じる。
◆またクルプスカヤは子どもの権利を尊重しなければならないとし、子どもの教育権の第一は、年齢にふさわしい教育を受ける権利だという。それは「それぞれの事物に触れ、その匂いを嗅ぎ、十回それをいじり、何十回もそれを観察し、その名前を十回繰り返す、などの教育を受ける権利」であり、就学前の子どもたちの自分の視野を広げたいという希望には「生きた自然、生きた人間、生きた人間の労働、その相互関係を見せるという方法」で応えなければならないという。つまり、周りの実生活を認識する権利ということ。実生活のなかの実物や現実にじかに触れ、五感をよく働かせて物事を認識することの大切さが指摘されている。
◆小学校における第一の教育課題は、自然科学の分野や社会生活の分野など身の回りの環境に対する興味関心をよびさますこと。そのために学校と地域住民との、住民と労働との固い結びつきや、授業では、子どもを取り巻く現実に立脚し、子どもの知っている具体的事実から出発することが必要だという。このことは自然科学と労働を前面に押し出すことになるとも述べている。
第二の教育課題は、子どもたちを本に触れさせ、子どもたちが抱くさまざまな疑問や興味関心に本は応えてくれることをわからせるとともに、読書に大きな地位を与え読み物の選択の幅を広げることが必要という。
第三の教育課題は、集団で生活し、まなび、仕事をする子どもの習慣をのばすこと。これは学校生活の組織の性格、児童の自治、相互援助その他を決める。このことから集団的な研究、共同の努力による一定の結果をえる習慣、個々の力や才能に応じた仕事の分担などの習慣といった課業の方法が生まれてくるという。
◆クルプスカヤは、教育と労働との結合や総合技術教育の必要性について「過去と現在における住民の勤労活動が、学校の勉強の中心」でなければならないと言及し、実習学校のあり方について次のように述べている。
第一に、学校のプログラムのすべての問題を—数学、物理学、化学、生物学、歴史学などを、労働の観点から、生産の観点から、勤労住民の観点から取り扱う。
第二に、学校生活の組織の中で、児童の生産的労働が優先的な役割を果たすべきであり、その際に勤労活動の選択が一番大切で、集団的な性格をもつ労働の形態を選ぶことが必要。集団労働はもっとも教育的な性格を持っており、「子どもたち自身が目標を定め、仕事の計画を討議し、互いに仕事を分担し合い、労働過程での相互援助の形態を定め、それから各自が最大の良心と熱心さをもって各自の機能を遂行すること」を通じて、生活の組織者としての習慣を発達させるという。
しかし、このようなクルプスカヤの考えは、なかなか理解者を得ることができず困難を伴いながら、1922年にピオネール組織の創設へと取り掛かることになる。
他方で、教育と労働の結合、総合技術教育の推進を説くクルプスカヤにとって、当時のアメリカの学校は、民主的で官僚主義や旧型墨守が一切なく、住民の監視のもとに置かれていることから、大変に柔軟で、実生活の様々な要求に容易に適応できる。また「国の社会的生産と結びつけられており、学校で労働に広い場所が与えられている」と、高くそのあり方を評価した。
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