今回は、「特集1 教職員が楽しく働ける学校へ」の山田哲也さんの「教員世界の地殻変動」を読んだが、会合での話し合いの報告というより、話し合いで刺激をいただいたことを含めて、中学校現場の一教員として、昨今の「教員世界」について感じていることを述べさせていただく。
最初に10月号を読んで印象に残ったのは、上坂はなさんの「新採教師の苦悩と葛藤」で、希望を抱いて中学校教師となった若い人が、月200時間を越える残業に追われ、周りの教員たちから支えられることなく、むしろ「指導」により追い込まれ、一年を経ずに病休に入り、その後退職するまでが赤裸々にわかりやすく具体的に語られていることだった。
山田さんは教員世界の変化として、①として、教員世界における世代の対立の顕在化、また③として、学校組織の統制原理の変更に伴う「職務遂行」志向の登場を挙げている。
このことに関連して私が現場で感じていることを述べたい。最近、30代40代の「優秀」な教員と言われ自分でもそう思っている人たちの考え方に強い違和感を感じている。彼らは、よく教員を「教員を育てる」と言う。「育てる」とは一つの教師像が明確にあり(自分はそれに該当するとも思っている)、その像に近づけるよという意味で使っている。場合によっては先輩教師に向かっても、「先生は、もっとこの点を勉強をした方がいい」と言い放つ。そして、その路線からはずれた教師は「使えない」という。
そして、こうした教師たちの言動を「教員評価」が増長させている。何しろ「S」「A」といった高い評価は、近隣の学校などに影響を与えるような研究をした教員にしか与えられないようなしくみになっているのだから。
彼らが大きい顔のできるような、多様な教員のあり方を認めない学校が、教師間の人間関係をギスギスさせ、悩む教師を退職に追い込み、また、多様な子どものあり方をも認めないのだと私は思う。学校とは、いろんな教員がいるからこそ、面白い場所なのではないだろうか・・・。
また、読書会では、「教師の多忙」についても話題となった。その中で、センター長が、小学校教師の日常生活の最低限の業務(7:30出勤、5:30退勤)ですら、月45時間以上のオーバーワークに該当するという試算を示して下さった。このことに刺激を受け、中学校現場について、私も試算をしてみた。その結果、始業開始時刻に出勤し、部活動終了時刻に退勤したとし、土日のどちらかと平日の一日は部活動をしないとしても、大会のある6月、9月は、月45時間以上のオーバーワークになることが確認できた。部活動の縮小または地域移行なしには、中学校教師の多忙問題は解決しないことを、具体的な数値で示すことも可能だなと感じた。
仙台市以外の宮城県では、未だに「部活動全入」が続いており、また、教員が部活動につくことが求められているため、教師間の部門ごとの簡単な打ち合わせすら、勤務時間終了後に行われることが日常化している。この点は、「部活動全入」ではなく、教員が最初と最後には部活動に顔を出すことまでが求められている仙台市内とはかなり違う実態がある。そもそも、教員がずっとついている部活動は、「生徒の自主的活動」ですらない。
読書会では、「自主的な部活動の中で育つこと」のメリットや歴史的意義についても話題となった。しかし、私は、どんなに部活動に教育的価値があったとしても、全員に強制するべきものではなく、教師も生徒も「やりたい人がやる」という範囲を超えたら、学校生活全体が歪むということを大前提するべきだということを確信している。
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