バートランド・ラッセルは、イギリスの数学者、論理学者、哲学者である。
1872年に生まれ、1970年2月に97歳という高齢で亡くなったが、驚くべきは長寿ということ以上に、1967年にはヴェトナム戦争におけるアメリカの戦争犯罪を裁くラッセル法廷を開くなど、94歳という人生の最晩年に至るまで世界じゅうの重大な出来事や問題について発言し、その先頭に立って活動をしてきたことである。まさに19世紀後半から20世紀中葉にかけての戦争と革命の時代を生きた、20世紀を代表する知識人の一人と言えよう。
10月の例会では、ラッセルの『教育論』をテキストに、彼の教育思想について太田先生作成の資料をもとに読み進めた。
ラッセルは子どもたちの心に芽生える恐怖についてしばしば言及している。
例えば、人々の心を惑わす神秘や迷信(日食、月食、地震、疫病など)は恐怖に由来し危険であるから幼いうちに根絶することが望ましいという。そして子どもに科学的に説明することで恐怖を克服してやるようにすることの必要性を説く。また恐怖の克服を通じて、子どもは科学に対する興味や関心を持つようになるという。
子どもが習慣的につく嘘についても、それを生み出したのは恐怖だという。厳格に育てられ叱られてきた子どもは、叱られはしないかとびくびくしたり、何か規則に反したのではないかと恐怖にかられ、大人の顔色を窺うようになる。よってこのような誘因をなくすことが大事だという。
体罰も同様に、子どもに恐怖を抱かせるものと言えるが、体罰に対してのラッセルの言及は、ある程度の体罰行使を容認するものとなっている。彼は厳しい体罰は残酷さや残忍さを生み出すこと、それが常習的な場合はなれっこになって自然の成り行きの一部と自覚するようになってしまう。また権威を保つためには肉体的苦痛を与えるのは正当かつ適切であるという観念を子どもに持たせることになりかねないと、その問題性を指摘している。また体罰は、親子や師弟の間の信頼関係を損なうとも述べている。
では子どもの教育において、ラッセルは何が大切だと考えているだろうか。今回の資料からは、次のことなどが読み取れる。
★子どもに対して同情と愛情にあふれた大人であること。愛情は義務として存在しているものではないから、子どもに父母や兄弟を愛しなさいと言っても無益である。愛は、言葉や理屈で教えられるものではない。
★叱ることは控えめに。難しいことをやりとげたり新しい技能や勇気を身につけた時にはほめてやること。
★子どもは放っておくと、わがまま放題になって自分の欲望を追求してしまう。この点で、公平の観念を身につけさせることが大切である。しかし、それはわがままの対極にある自己犠牲の観念ではない。「人はみなこの世のなかで一定の場所を占める権利があるのだから、自分の当然の権利を擁護することを何か悪いことのように感じさせてはならない」。
★想像力の開発。それは偉大な文学や世界の歴史や音楽・絵画・建築などを通してなされるだけでなく、科学もまた想像力を刺激するという。「しかも、想像力によってはじめて、人間は世界の未来の可能性に気づくのである。想像力なしには、『進歩』とて機械的でつまらぬものとなってしまう」と、想像力の重要性を指摘している。
★戦争や虐殺や貧困、あるいは予防されていない病気など、この世の悪については、隠すことなく子どもたちにはきちんと真実を知らせなければならない。なかには、できるだけ残酷さについては知らせない方がよいと考える者もいるが、知識の欠如に依存した「逃避的で遁世的な美徳」は賛美できない。「真実の歴史が私たちの与えたいと思っている教訓と矛盾するならば、教訓がまちがっているにちがいないのであって、そんな教訓は捨ててしまう方がよい」。
★これまでの教育思想において性教育は、ほとんど触れられてこなかった。その点にラッセルが、この点について言及していることは特筆すべきことと言える。
彼は、性教育において大切なことは、第一に、質問にはつねに本当の答えをすること。第二に、性に関する知識を他の知識とまったく同様に考えること、を挙げている。また教育の時期については、子どもが好奇心を持ったときにその好奇心を満たすようにしてやることが大切。質問してこない場合は、他の友達などからまずい仕方で知識を得るのはよくないので、十歳以前には話してやる必要があるという。
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