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ゼミナールsirube 5月例会

日時 2022年5月23日(月)
13:30~16:00
会場 みやぎ教育文化研究センター
会場の詳細はこちら
参加費 無料
テキスト 当日配布
内容

前回に引き続き、アンリ・ワロンの発達心理学について読み進めます。なおテキストは『子どもの思考の起源』(明治図書)からの抜粋資料です。

新型コロナウイルスの感染防止のため、健康不良の方は参加をお控えください。また参加の際には、手洗いマスク着用など感染防止にご協力ください。
コロナの感染拡大などで中止等変更の場合は、ホームページでお知らせいたします。事前にご確認下さい。よろしくお願いいたします。

前回の
様子

4月例会は、1月以来の会となりました。しばらく間が空いたこともあるでしょうか、参加者は7名と少なめでした。
当初予定していたテキストは次回にまわし、今回はワロンの『身体・自我・社会 ~子どものうけとる世界と働きかける世界~ 』の抜粋資料にもとづいて読み進めました。
そこでは、主に自我の誕生とその形成過程を中心にしながら、その発達段階や他者(二極性)・集団との関係についてみていきました。またピアジェとの間でなされた、いわゆる「ピアジェ―ワロン論争」についてもその概要について触れながら、ワロンの発達論について読み進めました。

◆自我の誕生と形成についてワロンは、生まれたばかりの赤ん坊は内と外、あるいは自我と他者というような区分はなく未分化の状態で、「自我が他者との諸関係の中に溶け込んだまま」になっているといいます。具体的に言えば、赤ん坊にとって世話をしていれる母親とはまだ区別がなく一体であり、情緒的共生状態にあるということでしょう。しかし2年目ぐらいからそのような関係に矛盾を抱えるようになると言います。そのことをワロンは「二極性」という概念を用い、当初は「ただずれの感覚や驚き、そして時に不安な感情が生じるのみで、これがもっぱら情緒的に表現される」だけだが、「やがて子どもは自分の予期や意図と実際の結果との間に不調和が生じたとき、その源までさかのぼってみようとするようになります」と二極性の矛盾が明確化・深化してきます。そして、子どもはこの二極化を「交換的なやりとりあそび」にふけることによって発見し吟味すると言います。例えば「たたくこととたたかれること」「逃げることとつかまえること」「隠れることと探すこと」などであり、子どもは「する者」と「される者」を演じるこれらのあそびを通して最後に相手の人格、他者の人格を発見するのだと述べています。つまり、交換的なやりとり遊びによって、「未分化であった自分自身の感受性の内部に、他者性を認識していく」というのです。他の箇所では、同様のことを次のようにも述べています。

「意識の最初の状態は、星雲のようなものにたとえることができます。そこでは外発的、内発的なさまざまの感覚運動的活動が、はっきりした境界なしにばくぜんと拡散しています。やがてその拡がりのなかに、一つの凝縮の核が形をとってきます。それが自我です。しかしそれだけではありません。核のまわりにもう一つ衛星が姿を現すのです。それが下位自我すなわち他者です。この自我と他者とのあいだで心的素材をどのように配分するかは、必ずしも一定していません。自我と他者との区別は、主体のもっとも内面で行われる二項分割の結果なのです。その二項は互いに対立的てあるのに、あるいは対立的であるからこそ、一方なしには他方も存在できない二項です。一つの項は自己との同一性の確立であり、もう一つの項はこの同一性を保持するためにそこから排除せざるをえなかったものの縮約なのです。」

◆また子どもの成長とともに自我のあり方は、次のような特徴を呈するようになっていくと述べています。
・2歳半ごろから
―他人に関する関心を持つことができるようになる。3歳ごろにははっきりしてくる(年下の者を気づかう、自分の過ちを認める)。
-自分の立場を主張するようになる。
-自分のことを「私」とか「僕」という代名詞を用いるようになる。
-自分のものという所有意識を持つようになる。
・3歳以後,約3年間にわたって
―様々な形で自己主張がなされる。4歳ごろには自己愛的なものとして、やがて5歳ごろには、大きくすぐれた自分になりたいという理想像を他者をモデルにもつようになり、「模倣によってその人物の長所や才能をとりいれ、わがものとして、その人にとって代わろう」とする。
・6,7歳になると
―子どもと集団との間に相互的な関係が成立するようになる。子どもと集団との間で、子どもは集団に入りたいと思うことも入りたくないと思うこともあり、集団もまた子ども受け入れたいと思うことも受け入れたくないと思うこともあり、そういう両者の相互関係を通じて子どもは社会化し、また一方では個人化していく。

他の箇所でワロンが述べた集団参加と「秘密」についての捉え方は、とてもおもしろいと感じました。ワロンはどんなに親密で信頼し合っている関係にあっても、すべてを打ち明けてはいけない。つねに何かを自分の中にとっておかなくてはいけないと「秘密」の重要性を説き、すべてを他人が掌握し知っている世界を生きることは耐え難い人格喪失をきたすことになると言います。他方で、そのような「秘密」の共有(秘密の開示)が、仲間との「連帯」を生み、自分の自我が仲間全体の自我にまで拡大したように感じることにもなると言います。
ワロンは、秘密をまさに秘密として秘匿しておくことと、それを共有すること(秘密の開示)の両義性に自由と連帯を読み説いていきます。同時にワロンは秘密の共有が逆に「自分自身から何かを疎外させてしまう」ことでもあると言及しており、個人と社会をめぐる「秘密」の奥深さを考えさせられます。

・12歳ごろになると(青年期)
―子どもたちは身体的にも精神的にも自分自身というものに混乱を感じるようになる(鏡の兆候)。自分の姿を鏡に映して見つめ、自分の姿形の変化を確かめたいという欲求を持つ。自分の変化を感じ、そのために気持ちが不安定になる。

ワロンの発達心理学の特徴は、上記の自我の誕生と形成の「二極性」にみられるように、相対立する二つのものの矛盾とその止揚による発展という弁証法的理論構造によって論じられます。また同時にワロンにとって自我の誕生は「環境によって形づくられ、個人の意識は周りの集団によって作りあげられます」と述べるように、子どもの発達を、常に子どもを取りまく他者や環境・社会との関連で把握し、その関係のなかで子どもの成長発達を位置づけ論じていきます。

ところでピアジェの発達論は?というと、ワロンに言わせると次のようになります。
「子どもはまず自閉的な段階に始まり、続いて自己中心的な段階を経て、その後ではじめて他者を自分と対等なパートナーと認めることができるようになるのだ、といいます。つまり、そうなってはじめて、他者がこの世界のなかで自分と相い似た存在を与えられ、その視点が自分の視点と同じように正当なものだと認めることができるようになるのだというのです。ピアジェの考え方では、子どもはまず最初に独我論的な状態にあって、その後に独我論を抜け出して、さまざまな人格を認める状態に達するというわけです」と。
つまりワロンによれば、ピアジェの発達論は、まず個体発生的な自我の形成があり、その後に他者という存在が登場すると捉えられています。子どもの発達を、つねに他者や環境・集団や社会との関係性の中で捉えるワロンにしてみれば、ピアジェの発達論は納得いくものとは言えず、ここに論争が生じる大きな原因の一つがあると言えるでしょう。