5月の会は、ワロンの著作『子どもの思考と起源』(明治図書)から太田先生が抜粋作成した資料をもとに読み進めました。
『子どもの思考と起源』は、上中下の3冊からなる大著で、多くの子どもたちに対するインタビュー、ディスカッションによる質問調査が行われ、その分析とそこから導き出される子どもの思考・考え方について論述されている。ゼミは、ワロンが子どもの思考の特徴として導き出した幾つかを取り上げたが、大著ゆえそれらは全体のごく一部に限られた。
ではワロンは子どもたちにどのような質問調査をしたのだろうか。ワロンの子どもへの質問は、子どもたちが生活のなかで目にしたり聞いたり経験したりする身近な事象や対象(草や木、太陽や月、小鳥や雌鶏、髪の毛や呼吸生や死)をもとにしている。しかしながら、その質問は「太陽ってなあに?」「月とは何ですか?」「机とは何ですか?」「風って何だか知っている?」「髪の毛って何?」「舟とは何?」「小麦とは何?」「イエス様とは何ですか?」というように「○○とは何か?」を問うものや、「なぜ太陽は熱いのですか?」「なぜ夜しか月を見ることができないのですか?」「どのようにして夜になるの?」「雨はどのようにして降るの?」「セーヌ川の水はどこからくるの?」「なぜ舟は沈まないの?」「板はなぜ水に浮きますか?」というように事象や対象についての性質や特徴の理由や原因を問うものなど、大人でもやすやすとは応えられないようなものも含まれている。このような問いを子どもに向けるのは、ちょっと意地が悪いかも・・・。
しかしワロンは、子どもがこれらの質問に直面して自ら持ち得る知識や経験などをフル動員しながら思考し応えるなかにこそ、子どもの思考の可能性や不十分さ、どのような精神的メカニズムを備えているか、またうまく答えられず障害に直面した時にどうふるまうかなど、子どもの思考と発達の過程と特徴をみてとることができると考えている。
以下に、ワロンが行った子どもとのやり取りを紹介する。
「どのようにして夜になるの?」―「知りません」―「夜になるっていうことを知らないの?」―「知りません」―「では昼間は?」―「いいえ、知りません」―「では、お月さまについてだれかが話をしているのを、聞いたことはないの?」―「ありません」―「太陽についても?」―「ありません」
板は水に沈みますか、それとも沈みませんか?―うきます。―なぜ浮きますか?―材木でできているからです。―なぜ材木は浮くのですか?―板は船のようなものだからです。―なぜ船は浮くのですか?―材木でできているからです。鉄でできているときも浮きます。―船はなぜ浮くのですか?―材木は沈まないからです。―鉄の船はなぜ沈まないのですか?―鉄は材木のようなものです。―もしきみが鉄を水に投げ込んだら、鉄は沈まないですか?―浮きます。―鉄を水に投げ込んだことがありますか?―いいえ。
いい天気ですね?−はい。−なぜ君はいい天気だと言うのですか?−太陽が照っています。−いい天気であるためには太陽が必要ですか?−はい。−夜はいい天気ではないのですか?−はい。−天気が悪い時にはどうなっていますか?−太陽がありません。−では、天気が悪いというのは夜だというのと同じことですか?−はい。−雨が降るのはいつも夜ですか?−いいえ。−では、夜でもときどきはいい天気ですね?−はい。−夜には太陽がないのに、どうしていい天気ですか?−夜です。−太陽がなくてもやはりいい天気ですか?−はい。
雨とは何ですか?−水。−どこから来ますか?−神さまから。−神様とは何ですか?−イエスさまです。−イエスさまとは?−…空のなかに。−…空とは何ですか?−灰色。−どうしてイエスさまは雨を降らせることができるのですか?−水。−どうしてイエスさまは水を手に入れることができるのですか?−小川からです。−その小川はどこにありますか?−地上に。−空にいる神さまがどうして地上の小川の水を取ることができるのですか。
このような質問調査からワロンが得た知見のうちゼミでは、子どもの反応として見られる「知らないという返答」や「肩すかしの返答」、あるいは反応の「惰性」(不連続と固執)、「脱線」や「空語」などがどのようなことを意味しているのか。また子どもたちの思考に見られる「対の思考」や「矛盾と二律背反」「同語反復」「混同心性」などについて読み進めました。
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