【5月号】
特集1 教師=専門職の誇りのありか
特集2 学校を運営するのはだれか?
【特集1】について
「教育の仕事は専門職とみなされるべきである」(Teaching should be regarded as a profession)
そう教師の地位を位置づけたILO・ユネスコ「教員の地位に関する勧告」が採択されてから、すでに半世紀以上が経つ。
だが、いぜんとしてその専門職性は、政策によって揺らぎ続けている。教員免許更新制の「解消」はその最たる例である。
多忙の実態が広く知られるようになり、報道からはかつての教師バッシングとは異なる論調もみて取れる。とはいえ、その過重労働を引き起こし、専門職としての働き方を妨げている抑圧の実相とその解消へと議論を進めていかなければ、教員不足(志望者の減少)という目の前の深刻な問題を解決する糸口は見えてこないだろう。
中教審答申は、教師に求める「資質能力」の冒頭に、教職への「情熱」や「使命感」、「誇り」などを掲げてきた。だが、目標管理と人事評価のもとでは個々の教師が専門的自律性を発揮する余地はますます狭まり、自由な教材研究の価値も、子どもの声に応える責任も、また自主研修への展望も見失っているのが現状ではないか。
専門職としての誇りの喪失ともいえる状況に、どう対峙するか。さまざまな制約を受けつつも、子どもを取り巻く多様な課題に共同で取り組む、「子どもとともに生きる」専門職としての教師の学びと実践、そのあり方をいま一度捉え直してみたい。
【特集2】について
2000年、学校教育法施行規則改定により、「職員会議は、校長が主宰する」場となり、学校は教職員協同の場でなくなった。2008年からは学校教育法が改定され、副校長・主幹教諭等が導入できるようになり、校内は上意下達の場となった。そして教育委員会は、同法第5条の「学校の設置者はその設置する学校を管理し」の文言を利用し、校長を通して教育内容・方法、試験・評価方法の管理統制を強めた。
このような学校に対する管理強化政策の下で、不登校は増加し続け、直近10年間で倍増の24万5千人となった。教員管理の強まりが、子どもも息苦しい学校を作り出すことになった結果だといえるのではないだろうか。
しかし、私たちは他方で、教員主導によって管理教育が推し進められてしまい、息苦しい学校をつくりだした歴史のあることを知っている。その意味からすれば、教員管理が緩んでも問題は解決しない。
教員も子どもも生きられる、そして民主主義社会の土台づくりにつながる学校はできるのか。国内外の事例に学びつつ、理想に向かう手がかりを示したい。
(2023.5月号 特集「とびらの言葉」から)
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