テキスト『人間とその術』の「第1講 災害からの出発〈人間の術と災害〉」を読合いました。
《参加者の感想として》
◆危機的状況というと「ヒロシマ紀元」を思い出す。つまり核兵器が出現して、人類の滅亡する可能性が出てきたことによって、すべての学問や行動はヒロシマを起点として考えなくてはならないという。そういう問題提起を1970年代に芝田進午が提唱したことを改めて思い出した。
◆人類史の多くの時間は、太田先生が言うように災害史とともにあるといえるが、3.11東日本大震災は新たな災害時代の幕開けであり、自然の驚異と人間の愚行による生命の毀損という複合的な危機が、まさに抜き差しならないリアリティをもって私たちに迫ってきた。しかし12年が過ぎた今、人々は何を復興とするのか、その「復興」を問うことなく、「復興」という言葉によって原発事故を過去のこととして忘れ去ろうとしているように思う。それを象徴するように原発再稼働が動き出している。今問われているのは太田先生が書かれているように「人間存在を無化する根源的問題」に対する私たちのまなざしであり、全体問題に対して「人間として語ること」だと感じた。 など
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