5月の例会では、特集1「教師=専門職の誇りのありか」から筒井潤子さんの『「教師」は何をする人か』を、特集2「学校を運営するのはだれか?」から山沢智樹さんの「学校を”管理”するということ」を輪読し、参加者全員で意見交流をしました。以下は、例会に久しぶりに参加いただいた宮澤さんからの感想です。
1)筒井潤子先生「『教師』は何をする人か」
人間を人間として育てること、そしてそれに寄り添う教師の専門性とはなんなのかといった論文の内容について、意見交流しました。
そもそも行政の考える人間(指示に従う、言われた通りに行動する)が、実際に存在している人間と程遠くなってしまっていることに注目が集まりました。文科省が行なった、発達障害の可能性を調査する際の質問項目には、本当にこんな人間いるのかと思うような質問項目もあり、捉えようによっては行政が差別を生み出す危険性さえあるのではないかと思いました。
また、教師が教室にいるだけで、そこが安心した空間になるのだという文脈も、非常に共感できるところでした。保育園にいる乳幼児たちも同じことが言えると思います。(ここでもやはり、教師にゆとりがあり、1学級の人数が少ないことが欠かせませんが。)
教師が子どもに寄り添う時には、子どもは生まれた瞬間から社会的な動物であると見るのか、子どもは生まれた時はわがままで、だんだん社会性を身につけて大人になっていくのだと捉えるのか。私は前者の考えに立つ者ですが、「子ども理解」といった時の分かれ目はここにあるのかなと思いました。
2)山沢智樹先生「学校を”管理”するということ」
学校管理の自治的な側面の重要性について語られ、そこへの行政あるいは住民のある種の”理解”の必要性を指摘された部分は、個人的にハッとさせられるところがありました。管理というと、やはり「上から拘束する」というイメージが強いことを思い知らされます。
特に皆さんとの意見交流では、学校管理と学校づくりの関係性をどのように整理したら良いのかについて主に話し合いました。
その地域やその地域の人たちでしかできない実践を積み重ねていくことが学校づくりの話になり、もう少し大きく、共同体として学校をとらえ、校内研究等ができるようにするといったことであれば、条件整備の話になるのではないかといった意見もありました。
最終的には、これはぜひご本人にもお話をうかがいたいですね、という話に落ち着きました。笑 (宮澤孝子)
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