2024年最初の宮城『教育』を読む会は、1月20日(土)10時~12時に開催しました。今回は、宮城教育大学を会場に、全国の『教育』を読む会メンバーとオンラインで接続した「オープン企画」として開催しました。
この特集の編集に関わった片岡洋子さんも参加してくださり、『子どもの権利と親子関係』についてのトピック、課題、研究動向、さらには編集秘話についても語っていただきました。宮城の読む会のメンバーにとっても、オンラインの参加者にとっても、貴重な情報が提供され、オープン企画として開催した意味があったかと思います。
今回は、『教育』2024年1月号の第1特集「改めて考える子どもの権利と親子関係」から、二宮修平さんの「現代日本の家族制度と親権」を中心に読むことにしました。話し合いのなかで、私が特に大切だと思った点を述べてみます。
この特集は、昨年(2023年)法制審議会家族法制部会が離婚後の共同親権を選択できる制度について具体的な内容を提案し、この先も様々な議論や混乱含みになることは予想されるが、ともかく日本で間もなく実現する段階に至っていることを受けて、組まれたものだということがわかりました。
この特集のタイトルにも示されているように、「子どもの権利」という観点から、どのような親子関係を望むのかということ自体を、子どもが自らの声として、あるいはその思いを信頼できる人から声として代弁してもらうことを通して意見を表明し、選択したり判断したりすることを保障することが最も大切なことだと思います。
日本の「親権」が、「国家や第三者が親権者による子の監護教育に不当に介入したり、妨害することを許さない趣旨」(二宮論文11頁)で「権利」とされていることは意義があります。子どもを“保護の対象”として扱うのではなく、“権利の主体”として位置づける方向で児童福祉に関わる法改正が近年繰り返され、子どもの権利条約に基づく国内法として子ども基本法がようやく2022年に成立し、2023年4月に施行されました(山下敏雅論文「児童福祉における家族と子どもの権利」)
この点を確認した上で、日本における家族観が実際にどうなっているのか。熊上崇論文(「離婚後共同親権に問題はないのか」)や小林美帆子論文(「スウェーデンでの子育てから見えるもの」)に紹介されている他国の事例と比較して、日本においてはまだまだ多様な家族形態についても認識されていないだけでなく、「夫婦と子を標準とする家族観」(同13頁)が今もなお根強く残り、標準から外れた家族の在り方に対して偏見や差別が行われていたり、標準ではない家族の中で生きている当事者も生きづらさや葛藤を抱えているのではないかという話も出ました。
「『家族』の仕組みを探り当てる」授業の中で、「家」制度の慣習について「父親が天皇になっている」というという生徒の発言が紹介されていました(鈴木博美論文、46頁)。現在の共同親権運動が、妻子に離別された怒りを募らせた父親による運動(父権運動)という側面がある(熊上論文27-28頁)ということと合わせて考えるとき、日本における家族に対する価値観や、家族の実態をどのように認識し、どこをどのように変えていくのかという基本的な視点を抜きに、「離婚後に単独親権のままでよいか、共同親権かを選択するのがよいか(後者がよいでしょうということで法改正をすすめます)」という単なる制度的な選択の問題として位置づけられてしまうとすれば、子どもにとっても、子どもの幸せをそれぞれに願う親個人にとっても、根本的問題が解決されないままになってしまうなあと感じました。
二宮論文では、「父母は婚姻の如何にかかわらず、子の養育について共同の責任がある」(16頁)と指摘されています。子ども自身にとって、共同親権の選択が制度化されることの意味とはどのようなことなのか。離婚後に、親として養育責任を負うものが、実際にどのようなかたちで「共同」していくのか。子ども自身が、こうした共同のなかで、親とどのように関わっていくことを望むのか、その声や思いが聞き取られ、実現していく過程をどのように支援していくのか。
参加者それぞれも、自分たちの「家族」観を問い直しながら学び合った時間となりました。(本田伊克)
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