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『教育』を読む会4月例会

日時 2024年4月13日(土)
10:00~12:00
会場 みやぎ教育文化研究センター
会場の詳細はこちら
参加費 無料
テキスト 『教育』2024年4月号
内容

子どもたちに「教室は楽しいところだよ、君たちの生きるところだ!」と言ってあげたい。しかし今の学校は、重い”閉塞感”や”硬直化”の中にあり、教育活動は、”強い縛り”を余儀なくされ、子どもたちと生きるうえで何より大切な自由や安心が奪われています。
そんな学校や教室にやわらかな風を吹かせたい。”ちょっとやってみようかな!” そんな気持ちで4月の新しい一歩を踏み出してもらいたい、そんな願いと思いで特集1は組まれています。
特集2は、特集1での思いをそのままに、”算数・数学教育”にしぼって、子どもたちと一緒に楽しい授業をつくりたいとの思いで組まれています。
新年度からの授業づくり、学級づくりの参考になると思います。ぜひご参加ください。

【4月号特集のとびらの言葉を参考にして】

前回の
様子

宮城『教育』を読む会3月例会

2024年3月9日(土)、『教育』を読む会を行いました。
この日は、『教育』3月号(No.938)の特集1「学校から周辺化される子どもたち」について、知念渉論文「どのように誰が周辺化されてきたのか」を輪読し、議論しました。
「扉」のことばと知念論文に導かれながら、特定のタイプの家族や子どもを「当然の前提」(特集・扉 4頁)として成立している学校教育の在り方について、そのような前提に合わないということから「周辺化」されている子どもたち・若者たちの状況から照射する試みとしてこの特集を読みました。
知念論文は、本田由紀氏の「戦後日本型循環モデル」が機能していた時代には、「近代家族」と父と母の性別役割分業、学校での成績と就職可能性の連動などの条件によって、学校は「生活に関連を見出せない学習内容とその他の生徒指導を子どもに押し付ける」(8頁)ことが可能であったが、バブル経済崩壊後にこのモデルが崩壊したこと。さらに、戦後日本型循環モデルはそもそも、生活不安定層、マイノリティに対する「構造的な排除性」(9頁)と、地域によってその定着度合いが異なること(現在でもこのモデルが機能している愛媛県新居浜市と、そもそもこのモデルが成立すらしていない沖縄県を取り上げて)が指摘されており、特集の他の論稿の内容も含めて「現代社会における一筋縄ではない『周辺化』の力学」(4頁)を捉えるきっかけになりました。
このように、学校が置かれている社会的構造や、学校が果たしている(しまっている)社会的機能について自覚的になることで、学校教育に関わる人々の意識も変わり、「学校の役割の再定義」(13頁)も実現していくのではないかと思いました。
今回は、主に高校教育の話になりました。知念論文が紹介している小熊英二氏の「大企業型」、「地元型」、「残余型」(11頁)の三つの生き方について、宮城県の専門高校の生徒については基本的に「残余型」はおらず、多くが「地元型」のようであるが、生徒の希望する進路と求人とのミスマッチもあるようでした。これは、全国的にもそうだと思います。
高校の話になったので、特集2の本多由有子論文(「学校統廃合が高校にもたらす実際のこと」)にも関わって、専門高校でも工業や水産は学科ごとの壁があり、農業や商業はそれほどではないかもしれないという話も出つつ、普通科、情報ビジネス科、電機・建築科の統合というのは本当に乱暴で、教育を破壊し分断するものだと感じました。
「残余型」については、家庭で経済的支援が得られるかどうかによって、そうした生き方が可能になるような進学先や進路を選択できるか否かが決まるのではないかという話も出ました。
知念論文では、沖縄県では「戦後日本型循環モデルが破綻どころか成立していない」(11頁)とあり、そうなると、冒頭の「理不尽な指導の経験」(5頁)を生徒にさせる「学校は今も基本的には変わっていない」(5-6頁)ということをどう考えればよいのかという疑問もありました。
学校教育制度と教師たちが日常的に共有している指導の在り方など、画一的な指導が続くことを可能にする制度的・文化的な構造についても改めて考えることで、子ども・若者を「周辺化」している「おおもと」の学校の在り方を問い直せるのではないかということです。
たとえば、学校は就職氷河期には「仕事に就けなくなるぞ」と脅し、今は、「AIに仕事を奪われないようにしろ」と脅すことで、勉強させようとするマインドセットを深く組み込んでいないか。この点について直視しないと、教育と労働の「密接な無関係」(8頁)状態は根本的に改善されないのではないか。そんな意見も出ました。
個人的には、特集2を読んで、行政による上からの学校統廃合は本当に酷い状況をもたらしていると思いながら、学校が果たす役割は何なのか。学校は何を失ってはならないのかを考えさせられました。(文責:本田伊克)