今回は、「第四講 近代技術ー科学技術のあり方を考える 一 技術とは何か」 でした。
太田先生は、西田幾多郎や三木清の論を出して技術についての考えを説明してくださいました。私が高校の時の倫理の教科書に載っていた哲学者をもって、「この二人の論では、もはや今の技術には太刀打ちできない」と言われたことが、「ええーーー!!」という感じでした。
太田先生は、テキストで「技術そのものはわれわれが気づかないうちにその姿を変えてしまったのだ。技術はもはや人間に奉仕するものではない。現代の技術は一つの臨界点に達し、猛烈な『自己増殖』をはじめたのである。」・・・ショッキングな言葉がならびます。技術の進歩は、もはや「技術革新」ではなく「技術爆発」である。太田先生は爆発どころか、人間のこれまでのあらゆる成果をひと呑みにしようとする「巨神」となったと書いています。技術が神になるなんて、私が小さいころには思いもしませんでした。指数関数的に進化を遂げてしまった(そして、今も進化している)この技術を、私たちは、どうしていったらいいのでしょう。途方にくれてしまいます。
近い未来には、技術そのものが「人間」となり、いまのわれわれが「人間」でなくなり、たんなる無気力な従属体になるというのです。
3月31日(日)の朝日新聞「AIとともに生きる世界へ」では、千葉工業大学学長の千葉穣一さんが、「意識や感情の要素を8.9割持つようなものが出てきたときに、どこまで人間に近づいたらどんな権利を機械に与えるかを考えないといけない時期が来る気がします。」と言っています。機械に権利?です。人間の多様性にもなかなかついて行けなくて、まだまだマイノリティーの人たちの権利をどうするか悩んでいるときに、機械の権利です。
こういう時代に,教育は、どうあったらいいのでしょう。もはや、知識を詰め込む学習はナンセンスではないでしょうか。
同じ朝日新聞の筑波大学システム情報系准教授の岡瑞起さんは、「重要となってくるのは、AIが持っていないような新しいデータをどうつくれるかで、それは、体験という『価値』だと思います。知識を学ぶのではなく、誰も知らないような体験を作り出せるかが大切です。・・・・・みんなが知っていることの勉強はAIがやり、自分にしかできないものを磨くことが求められます。」と書いています。
それと同時に自己増殖する「技術」をどうするか。太田先生が、「今は部分死ではなく全体死の危機だ。どうしたらこの全体的崩壊を回避できるのか」という強い危機感を持ってこの本を書かれていることを感じ、私も何とかしたい、できることを探っていきたいと強く思いました。
これからこの回避策についての話が出てくると思うので、とても楽しみです。
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