4月は、薪を背負い本を読む像で知られた二宮尊徳を取り上げました。尊徳は、江戸時代後期の経世家・農政家であり、報徳思想を説きました。
二宮尊徳は戦前戦中の修身科教科書に取り上げられ、国家主義イデオロギーの役割を果たしたことなどから、これまであまり関心を持たずに来ていましたが、例会では、尊徳の経歴を押さえながら彼が書いた『三才報徳金毛録』と、弟子の福住正兄が師である尊徳の言動を記録した『二宮翁夜話』を読み合いました。
経歴を見ると、幼少青年期に2度にわたる水害で田畑や家を消失し、14歳で父親を16歳で母を失うという不幸に見舞われるものの、勤労と節約に勤め勉学に勤んで生家を修理し質入れした田畑を買い戻し、小作に出すなどして家の再興を成し遂げます。また貧窮する母の実家川久保家に資金援助したり、二宮総本家の再興のため基金を立ち上げたりもしました。
こうして尊徳の才覚は知られるところとなり、小田原藩で家老をしていた服部十郎兵衛が家政の立て直しを依頼したり、藩主から桜町の再建を命じられたり、さらには飢饉の救済や利根川の利水、印旛沼の開拓などにも取り組むことになります。
まさに尊徳は幕末に生きた道徳的行動者であり農村改革者であり、さらには幕末の諸藩財政立て直し請け負人という、マルチ人間であったことが見えてきます。
このように尊徳の人生を振り返ると、彼の生活における倹約や勤労勤勉に励む姿が、戦前の修身を通じて模範的人間像として大いに利用されたのだということがわかります。と同時に、飢饉や生活に困窮する人々を助けるため尽力する行動者としての尊徳の姿は、単なる徳や説法を説くだけの人間にない魅力的な人間であったことも事実だと感じます。
このような尊徳の生活に根ざしその事実と困難に向き合いながら、行動の人としてあった生き方は、今回取り上げた『三才報徳金目録』や『二宮翁夜話』からも感じられました。
例えば、誠の道は書物を読んだり師匠に習ったりすることのなかにあるのではなく、日々の生活の繰り返しの中にこそあるとし、またこの世界(天・自然)の理は循環にあると言います。自然の循環のもと日々の暮らしの繰り返し(勤労)に励むことを説きますが、それは尊徳自らが自然のなかで働き、様々な困難や課題に対処する現実に根ざした教えと言えるでしょう。また農を大事にし繁栄させることこそが根本であるとも説きます。ここにも彼の生き方に裏打ちされた言説の確かさが感じられます。また彼の説く教えや言説には、巧みな事実による喩えが挙げられており、彼の賢明さもよくわかりました。
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