2010年06月26日
第17回総会、1時過ぎから1時間程度。2009年度は24名もの新規会員。そのためか準備にも力が入る。総会参加者も去年よりは多くうれしい出発。「開設するホームページによって、よい仕事をしている仲間、したいと願っている若い人たちをつなぎ励ますものにという期待。よい仕事をしている仲間・学校を知りたいという希望」等が出された。
学校教育の内容がぎすぎすしていることは子どもの世界もそうなっていること。これで心豊かな子どもたちにできるか。こんな現状を切り拓くためにもセンターへの期待・希望にどう応えるか。体に力が入る。幸い若い人たちの役に立ちたいと集まりつづけている“OB”数人の助っ人の存在は心強い。そこからの発信が何かを動かすだろう。
記念講演は田中孝彦さん(武庫川女子大学)。演題は「『子ども理解』-そして教育実践・教師像の今日的課題」。現在の教育の問題を指摘したうえでの子どもや教師の積極的・肯定的な事実の話は明日への力となる。世の中、あまりに否定的な面だけ取り上げる人が多いのではないか。それに共感するだけでは何も変わらない。一歩でも二歩でも歩くこと。歩くこと以外に光は見えてこない・・と自分に言い聞かせる。
2010年06月23日
総会の準備。夕方、清岡さんと雑談。話は林光さんの公開授業のことをふりかえりながら今後のセンターの活動にすすむ。
センターではどなたにお願いするときも薄謝。林さんも同じだったが、林さんには高校生への公開授業に興味を示していただけた。結果は、参加した高校生も参観者もみんな喜んでくれた。(林さんにとってはどうだったろう・・)。
通信掲載のためにテープを起こしたが、話の展開はすばらしく、どこも省けない。すべて載せることにした。途中、CDを2度使ったところがあったが、「もっと高く!」と係に指示する林さんの声は「怒声」とも言えるもので、音の世界に生きる方、指揮者の一面を瞬間に感じて驚いたと言うと、「僕もでした」と清岡さん。このことも伝えたいことだが通信ではどうしても無理だ。この瞬間の出来事を耳目にすることができるかどうかは人間にとって小さくないのではないか。
雑談は、「金のないわがセンターはオレたちの企画力が問われる、その力を枯渇させないようにしなくちゃ」ということで終わりになった。
2010年06月18日
朝、出がけに出浦さんから電話。一昨日の電話では今日はゆっくり家で横になっていると話していたのだが、今日も体調がすぐれないという。運営委員会を休ませてほしい、「センターの将来構想」に関する話は宮教組の斎藤さんに頼むからとのこと。4時からの運営委員会では斎藤さんに話をしてもらう。センターの仕事は、中にいる者だけでは何ほどのこともできず、多くの方の支えによって成り立っていることをこんなことに出会うたびに強く思う。会の後に話をしようと思っていた2つの別件は後送りになる。
総会を前にしての運営委員会だったのに新年度の活動方針をとうとう文字にして出せなかった。以前はやらなければならないことは寝ずにもやったのに、いつからこんな体たらくなオレに・・、情けなくなる。
通信の仕事もたくさんの方に書いてもらうことでなんとか形にできてきている。夜、初校。
2010年06月16日
通信59号の作業も追い込みに入った。原稿がまだそろわない。「ひと言」は中森さんにピンチヒッターを頼んだ。林光さんの授業テープを聴いた。要旨にまとめるためだったが、どこも、ひと言も略せない。そのまま読者に届ける責任が私にある。ピアノの音を一緒にできないのが残念だ。
帰りのバスを降りて歩いていると、突然、ワカナちゃんから「オカエリナサーイ」と声が降ってきた。私の住んでいる小路ただひとりの1年生、いやたったひとりの小学生だ。会うたびに「学校はおもしろいか」と聞く。すると、決まって声高く「おもしろい!」と返してくる。そのたびに(よかった!)と思う。
家に「みやぎ児童文化の会」通信229号が届いていた。筆者の菊池鮮さんは健在だ。鮮さんは書く。
「・・人間も変わるわけだ。体も頭も、どんどん使わなくてもいい方向に進んでいく。するとだ。人間の体にも変化がおきてくる。やらなくてもいいところは退化していく。そして、残ったところが異常に発達しないか、と俺はおそれる。それは人間のどの部分か、精神的な面である。つまり、かぎりなく人間はワガママになっていくのではなかろうか。・・」
読みながら我がワカナちゃんの顔がうかんだ。ワカナちゃんはまったく心配ないな。