2012年05月01日
古本屋で見つけた手塚治虫の「ぼくのマンガ人生」に休日の相手をしてもらった。
そのなかに「すばらしい先生たちとの出会い」の章があり、2人の先生を紹介している。
ひとりは小学校の乾先生。先生は作文の時間には「どんな内容でもいいから、とにかくたくさん書けということで、調子に乗ると、その時間だけでは書ききれずに、家へ持って帰って書きつづけて何十枚になることもあった。『セリフ』をどんどん書き込むことも覚えた。フィクションになることもあった。」と書いている。
もうひとりは中学での美術の岡島先生。「マンガを描くなどとは戦時下に何たること」という配属将校や教師たちから終始かばって「手塚はこれが才能なんだから」と職員室で熱弁をふるってくれることもあったと言う。
読んでいて、この先生たちとの出会いがなかったらあの手塚治虫は私たちのなかに生きることがあったのだろうかなど自分のことまでふくめて思いを巡らした。
手塚治虫の言う2人の先生の話は、現在の教育・教師の在り方を考えるに大事な提起と私は受けとめた。
絶えず耳にする現在の教育現場では、手塚の前の乾先生も岡島先生も、ほとんど「すばらしい先生」と言われる自身のもつ素の生き方は難しいことだろう。それはそのまま、こどもたちもまた自分を伸び伸びと生かしてくれる「すばらしい先生」への出会いの場をもてずに終わるということになるのかもしれない。それでは、あまりにかわいそうだ、子どもが・・・。