2010年11月30日
26日、Nさんの授業を観に行った。2年生の作文の授業。
たいへんいい気分で1時間を過ごした。授業が、子どもも参観者も、そして(おそらく)Nさんも、三者それぞれが心を満たされる時間になる授業というのは、めったにないのではないか。
この時間はハルカちゃんの日記をみんなで考えた。最初にハルカちゃんが読む。その後に、「ハルカちゃんが書きたいと思ったこと」を全員が書く。書いたものをみんなに知らせたいたくさんの希望者の中から6人が出て黒板に書き、その一つひとつについて話し合った。話している子も耳をかたむけている子もみんな体がやわらく感じる。安心して暮らせている証拠だ。教室に休みなくいい空気が流れる。Nさんが子どもたちへ話す言葉も流れを切ることがない。これまで何回か見ているNさんの授業の雰囲気と違うことに内心驚く。彼は後の検討会で、「前の学校で今までの自分ではダメだと感じました。一皮むけたのでしょうか」と言っていた。
授業は「みんなで考えたこと」を書いて終わった。私の前の座席のサヤカちゃんは「作文ってこんなにつうじるんだなあとおもいました」と書いて鉛筆をおいた。何を頭に描いて書いたか私にはわからないが、それを目にして、私の中のうれしさがますますふくれあがった。
2010年11月26日
筑紫哲也の書いたものを読んでいたら、「七人の侍」のような時代劇をもう一度つくってほしいという声が最晩年上がった時、黒沢明が「村を盗賊から守れそうな奴(役者)が今どこにいるかね」と言ったと書いてあった。私は(さすが黒沢!)と大いに感じ入った。
黒沢明の年譜を調べると、1910年に生まれ98年に亡くなっている。「七人の侍」は54年の作品。この話は黒沢の「最晩年に」とあるから「あの作品をつくった40数年後の今は」ということになるか。
時代の動きで価値観も変化するのは当たり前。それでも「村を盗賊から守れそうな奴がいない」とすれば一大事。という言い方は少し大げさすぎるかもしれないが、筑紫は、このエピソードを食の問題を考える中で引き、顔かたちの変化だけでなく、体力・運動能力の低下まで関連づけているので、つい・・・。
時代劇は今も映画からもテレビからも消えていないが、どれもこれも役者は黒沢なら無視するだろうイケメンのサムライ。これらの面々が見事な太刀さばきで「村を盗賊から守る」類の演技を見せ、天下も動かす。「七人の侍」を知る人は少ないのだから少しも違和感をもつことがないどころか、黒沢の言の方をこそ理解に苦しむだろう。
しかし黒沢にすれば、映像で時代を描く時、人物の衣装や立ち居振る舞いだけでは許せないものをもつのだろう。時は動いていることを重々承知しながらも、いつの間にかテレビに流されている自分に気づきハッとすることが何度もある今、こんなこだわりと頑固さをもつ人がいたことを私は忘れないようにしたいと思う。
2010年11月19日
宇宙探査機「はやぶさ」のカプセルに小惑星「イトカワ」の微粒子が入っていたという。快挙である。それを16日のテレビのニュースが報じた。その最後に、「はやぶさ」の展示会に行ったことがあるという母子が映った。マイクを向けられた女の子がとてもいい顔で「よかったね」と言い、母親は、「子どもが『よかったね』というニュースはいいですね」と言った。カプセル内の微粒子の価値とは比較にならないかもしれないが、この母子の短時間の映像は私になんとも心地よいものとして強く残った。
母親の言葉は、「子どもが観て『よかったね』と言えるニュースのなんと少ないことか」ということに置き換えられよう。私も毎日うんざりだ。たとえば国会のニュース。聴くに堪えない言葉のやりとり。非難合戦。まさかそれだけで明け暮れているわけではなかろう。その種のものを送るのがニュースであり視聴者が喜ぶものとどの局も思いこんでいるようだ。「国会の実態なのだから」と言われそうだが、それでもなおバカにしないでほしい。
週刊誌などは、人についてこれ以上の悪しざまな表現があるだろうかと思われる見出しつけの競争をしているようだ。新聞に載るこれらの広告の文字に具合が悪くなる。
「はやぶさ」ニュースの母親の言葉にドッキリした関係者はいなかっただろうか。
2010年11月16日
「民主教育をすすめる宮城の会ニュース」15日号のなかに毎日新聞からの「ゆとり教育世代:7割が学力低下実感 明大学生が同世代1000人調査」が載っていた。
7割の学生が学力低下を実感しているという。この言葉になんとなく違和感を覚えるが、自分たちがそう言っているというのだからそこにいろいろ言うつもりはない。
私がいつも気になるのは、「ゆとり教育」が学力低下と結びつけられて言われることである。そろそろこれを使うことは止めたらどうだろう。「ゆとり」は悪ではないのだから。
この問題の根は学習指導要領の拘束性にあり、教科書の検定制度・採択制度にあると思う。そこが改められれば、教科書各社が競って創造的な編集をし採択が教師の責任においてなされ、その時々の学力問題についての議論はもっと本質的なものになり、残るは、採択者である教師がいかに創造的な授業をつくっていくかが問われることになるだろう。
私の生活科教科書づくりの体験からまた一つの例をあげてみる。1年生の教科書で、学校を中心にして高いところから見下ろした絵が検定で修正を要求させられた。理由は、「遠くに街並みが見えるが、これは、明らかに他学区であるから削るように。1年の学習範囲は自分の学区だけである」というのである。こんなことが真面目に取り上げられる教科書の学習は果たして子どもの世界を広げることになるだろうか。こんな例が山とあるように思う。私の言いたいことは、たとえば、ここの突破である。
蛇足になるか。かつて6年生の3学期末の算数についてS男が、「復習もいいが、新しいことも勉強したいなあ・・・」と日記に書いてきたことを思い出した。
2010年11月10日
前回紹介できなかったMさんの「里山物語」。
報告をつめて言えば、「米作り」を中心にした「里山探検隊」としての活動、その1年間の体験学習から生まれた劇と共同版画づくりで仕上げた実践。
Mさんの米作りは他とはずいぶん違う。戦後樺太から帰国入植開拓したカマタおばあちゃんからの聞き取りをもとに「用水路探検」「水路作り体験」を組み、田の土の観察へ。校庭・花壇・森の土との比較。稲の成長の観察も密だ。夏休み中も子どもたちは田に集まる。収穫後は足踏み脱穀機を全員で踏み、収穫祭にはお世話になった方々をも招いて。その後、学芸会での劇になり共同版画制作で一連の活動が終了。いかにていねいな取り組みであったか、子どもたちがいかに入り込んでいたかは、最後の共同版画にあますところなく表現されている。
Mさんは言う。「地域の方から教えていただくには時間がかかるのだ。1度や2度足を運んだだけで教えてもらえると思うな」と前回紹介したKに教わっている。Mさんも、その教えを生かし、カマタのおばあちゃんに相当回数通っている。子どもたちもまたおばあちゃんと仲良くなっている。この「里山物語」はおばあちゃんからのていねいな聞き取りがなければこのような内容豊かな学習に結実しなかったろう。
言葉を替えれば、Kからのバトンを確かに受け継いで作り上げた仕事とも言える。
それに加えて、Mさんの報告の中に「私のクラスのA君は、常にまわりにいる人の胸に刺さる言葉を吐いた。7時半には学校にやってくる彼。父親が失業していたのだ。朝ごはんの用意はないようだった。「早寝早起き朝ご飯」、文科省が、学力が思わしくないのは家庭の基本的生活習慣のせいだとしているかけ声が空しく思われた。事情は子ども一人ひとり違っているのだから」という記述が見られるが、軽薄な言葉に惑わされることなく、子どもの側にしっかりと足を据えたMさんの教師としての立ち位置もKと同様のものであり、Mさんの確かな仕事つくりの根になっているものであると思った。
Mさんの仕事は、学校の在り方・教師の資質向上に、教員免許更新制よりはるかに何が大事かを事実で提案したものとも言えるだろう。
2010年11月07日
今年の「教育のつどい」が終わった。2日目の今日は「子どもが育つ授業とは」の分科会に参加した。報告者のひとりはMさん。報告は総合学習の「里山物語」。
Mさんの教師スタートは私の友人Kのいる学校だった。Kは何をやるにも徹底していた。それゆえにか、51歳の若さで我々の前から去ってしまった。Kを連れ去った病魔を私はいまも憎んでいる。少なくとも現役での刺激のし合いがまだ10年近くもあったのに奪いとられたたことが何よりも悔しいのだ。残された仲間でKの遺稿集をつくり、署名を「こだわりに生きて」と名づけた。
この遺稿集には社会科の実践を①「“地域の掘りおこし”と日本史の授業(小6)」②「生活を支えてきたもの(小4)」③「給食室で働く人々(小1)」④「わたしが大きくなるまで(小1)」の4本だけ載せた。
①では学区内の板碑調べをしている。それにふれて、「この板碑を中世の授業の核にし、その背景として岩切の百姓たちの生産への取り組みの姿を子どもたちと一緒に描き出したかった」とKは書いている。
②について、「農業用水の学習を通して、農業と水のかかわり、水を手に入れるためのさまざまな知恵、農民の願いなどを知ることができる」「このことは、じいちゃんやばあちゃんの話を聞き歩くなかで、さらに確信を強くすることができた」とKは記録に書く。
Kの仕事は一貫して、こうだった。Mさんは、そのKと最初の4・5年を同じ学校で暮らすことができた。
「先生と子どもの信頼関係の基本は、教科を自信をもって教えられることであるはずだ。面白さや人気だけでは教室での信頼は築けない。そのためには、先輩教師が後輩教師を育てる教育機能が学校に必要だと思う。<中略>(その)教育機能が働いていないのが現状のようだ」と歌人の俵万智さんが今日の朝日新聞に書いていた。私も同感だ。
Mさんの報告の内容に入らず長くなった。次回に紹介させていただく。
2010年11月02日
昨日の「クローズアップ現代」で微生物が取り上げられているのを見て、かつての教科書つくりのときのことをまた思い出した。私たちのつくった生活科教科書は「他者の理解」と「循環」の2本の柱とすることに議論を重ねた末に決めた。「学習指導要領に沿って」ということではなくて、今子どもたちと何を一番考え合いたいかの方を選択したのだ、その後の苦戦は重々承知のうえで。
果たして、検定で「びせいぶつ」にもクレームがついた。「高学年で扱う用語だ」と。でも、私たちの構想から言えば微生物を欠いて柱の一つ循環は成り立たない。書き換えて提出するとき「目に見えない生きもの」とした。しかし、検定官に「微生物と同じではないか」と一喝。万事休すかと思われたときのアイディアはこうだった。
教科書は「ひとつづきの詩のような読み物に」の考えをあえて壊し、1年生用に「きれいに見える手でも/食事の前には/手を洗おう。/目には見えないけれど/黴菌が付いているかもしれないから、/人の目には見えないけれど/生きているものがいる。」(原文はすべてかなの分かち書き)を入れた。そのうえで前回の「目に見えない生きもの」は書き換えなしで再提出。なんとするりとパス。循環の柱を倒すことなく教科書をつくることができ、教科書の最後を以下のような文で結んだのだった(過去形で書くのは悔しいが)。
うごきまわる 生きものも、うごきまわらない 生きものも、
ちきゅうの 上で みんな いっしょに 生きて いる。
人だけが とくべつな 生きものでは ない。
人は うごきまわる 生きものの なかまだ。
人は、人が かんがえた ことだけを 学ぶのでは なくて、
うごきまわる 生きものの 生きかたや くらしかた、
うごきまわらない 生きものの 生きかたや くらしかたからも 学ぶ。
そして、人が どんなに しぜんに ささえられて いるかを おしえられて、
みんなで どう 生きるかを 考えながら、生きて いく。