2010年08月27日
12日の日記に「山びこ学校から何を学ぶか」を取り上げたが、一部私の誤記があった。「多くの書き手のうち、教育学者は3人だけ、現場はひとりも見当たらない」と書いたのだったが、教育学者では宗像誠也さんも書いており、現場では、滑川道夫さんは当時成蹊学園の主事であり該当するし、有名な付属小の方も書いているから、現場の書き手ゼロはまちがいになる。あわせて訂正させていただく。ついでに、山形県教育研究所員・教育委員会管理主事、そして山元中学の校長も書いておるということを、現在ではほとんど考えられないことなので付しておく。
校長の文のなかに、「『参観者が多くて迷惑なことですね』と同情してくれるが、私たちはその反対で、『山びこ学校が読まれて、それに興味と関心をもたれ、この山村までお訪ねくださる方は、きっと子供を愛し、教育を愛し、日本を愛される方なんです。私たちは、そういう方と話し合い出来る機会を心から望んでいるのです。・・・』」とあった。読んで私も、迷惑な人のひとりになり、本間校長にぜひお会いしてみたかったと思った。
「ぶらりひょうたん」の高田保は「私は無性に泣かされてしまった」、劇作家の三好十郎は「私は何度も泣いた」と書いていた。鶴見俊輔は「日本から望むことのできる最も善いものが、『山芋』と『山びこ学校』において確固とした姿をとっている。僕たち、日本の反植民地化をのぞんでいるものは、ほんとうに見事なものが何であるかを忘れないために、こうした作品をふりかえることをしないと、僕たちのすることが、ますます、ほんものから遠ざかることになる。」と結んでいた。
2010年08月23日
21日の「アイヌの文化に学ぶ」講座は、私にいろいろなことを思い出させた。
参加者の感想のなかにこのごろあまり見られなかった言葉がいくつもあった。「すがすがしい時間」「自分を無心に・・」「久しぶりに集中」「成就感ということばを使っていい」・・・などなど。これらの言葉にかつての自分の教室を思い出させてもらえたが、言葉の一つひとつに見合う教室は容易に浮かんでこなかった。
小川さんの講話を聴きながら、堀田善衛を思い出した。就職して数年後、福島で全国教育研究集会があり、開会の記念講演は作家の堀田善衛だった。堀田は、講演の冒頭で、孫の噛んでいたチョコの「ディスカバリー」という品名を取り上げ、「歴史上、1492年、コロンブスのアメリカ大陸発見と言うが、アメリカには既に先住民はいたじゃないか。何がディスカバリーか。あの言い方はヨーロッパ中心主義の史観に基づく言い方だ」と言い、聞いた私は飛び上るほど驚いた。大学まで歴史を学んでいながらまったく考えたことがなかったのだ。私に、「学ぶ」ということ「教える」ということの問い直しを迫るに十分すぎる話だったのだ。
2010年08月16日
「人間と教育」(民主教育研究所刊・10年夏号)に「オランダの教育と日本の教育」(リヒテルズ直子著)が載っており、日本の教育を考えるべきオランダの教育のさまざまな事実が紹介されていたが、その中に引かれているユニセフ調査(2007年)結果の日本の子どもについての数字に、猛暑の中、いっとき体が寒々とするのだった。
その驚くべき結果の一つが、「孤独を感じる」という日本の子どもの比率の29.8%である。他の国は5~10%であり、オランダは2.9%。
日本の子どものおおよそ3人に1人が「孤独を感じている」ことになる。子どもにそんな思いをさせて平気でおれるわけはない。そうさせているのは私たち大人なのだから。
ふるさと 大木 実
桑畑の向うにとなりの家がある/日のくれ 煙があがり燈火がつく
縁の雨戸を繰りながら/「おうい」と大きな声で呼ぶ/しばらくして「おうい」と返事がある/「あしたまた遊ぼうや」/「遊ぼうや」/その家に 宋ちゃんという友だちがいた ――
山はくれ/鳥屋のとりたちもねてしまった/そしてせせらぎの聞えるあたり/今夜も星が美しい |
私の子ども時代はこの詩そのものだった。そう言っても、「昔と違う」と一蹴されるだろうが、どんな世であっても、「おうい」「おうい」と交わし合える子ども時代にしてあげたいと切に願う。
2010年08月12日
アイヌ文化講座の参加希望者数が満たされないことが気になるのだが、昨日からセンターを閉めることにした。そこで、しばらくぶりに古本屋にリュックを背に足を運んだ。
今日は、買いこんできた中の一冊「山びこ学校から何を学ぶか」(須藤克三編・1951年)を読んでいるが、編者・須藤の「あとがき」の一部を少し長いが抜いてみる。
「教育者に案外『山びこ』のケチつけが多く、一般の人々が、素直に感動し、率直な評価をしている事実を見聞しました。たまたま教育者以外の人が『山びこ』をほめたり、支持したりすると、教育者は『素人が的はずれなことを言っている』といった態度を露骨に見せているようでもあります。」「大衆の支持を受ける教育が、教育者によってケナされ、黙殺されるという事実は、どう考えてみても首肯できないことの一つですが、『山びこ』に対する大衆の関心と支持というものは、同時に、『山びこ』をケナす教育に対し、いかに不満をもち拒否しているものだと言えないこともないようです。教育というもの、少なくとも義務教育というものは、つねに大衆とともに在らねば意味をなさないでしょう。」
この本の執筆者は多いが、私の知っている教育学者は、大田堯・宮原誠一・船山謙次の3人だけ。現場の書き手は見当たらない。大田さんは、結びで「たまたま無着君の作品と人にふれ、われわれ自身の不勉強を痛感するので、その反省のために筆をとった」と書いている。
2010年08月06日
明日から東北民間教育研究団体の集会が秋田会場で始まる。会場は6県持ち回り、今年は59回集会だ。私の参加した秋田の最初は第17回の大滝温泉での集会。前年の浅虫につづいて仲間と宿泊費を惜しんでテントをもっての参加。翌年の福島岳温泉もテントだったが、設営が終わるころから豪雨になりテント内に浸水、我慢できなくなって宮城の宿舎に避難したのだった。そんなことをしても多くの仲間の中の一人であることに誇りを感じて3日間を暮らした。全国に名をはせている研究者や実践家に出会うだけで動悸が激しくなる。何も知らない私には話の全てが新鮮。吸い取り紙のようになんでも自分のものにしないでおれない。ただただ聞くだけ。こんな繰り返しの中で、しだいに私の「学び」が身についてきたように思う。自分の仕事をもっての参加はしばらく後になる。
2010年08月01日
林光さんからハガキをいただく。公開授業の報告ブックレットをつくらせていただきたいとの願いにご快諾を得る。「事実誤認があるかもしれないから作成見通しがたったときに見せてほしい」と書かれてある。
これで、林光さんによる高校生相手の公開授業「ひとりひとりの憲法」を会員外の方にも広く知っていただけることになることをうれしく思う。
とは言え手放しで喜んでおれない。あの林さんのすばらしい憲法の授業をどのような形でブックレットにまとめあげるかが大きい課題になるからだ。とびきりいい材料だから必ずよいものに仕上がるとは限らない。猛暑の夏に加えて、急に燃えだした己の体熱とがグルになって襲いかかってくる感じだ。
多くの方の知恵と力をお借りしながら、完成した時の爽快感を夢にさっそく仕事に取りかかりたい。