2012年6月

2012年06月26日

これまでこのホームページを管理していただいていた武田和則さんが急に亡くなられた。「7月にはリュニ―アルします。希望を考えておいてください」と言ってきたばかりだったので、訃報には大いに驚いた。信じきれないので、4月27日と5月1日にも日記を入れたのだが、武田さんからは何の返事もないし、そのうちホームページは止まってしまったので諦めるより仕方はなかった。動いている時は、ここを埋める日のくるのがやたら早くくるような気がしたのだが、動かないのはまた寂しい感じがする。人間、勝手なものだ。

その後、高橋基さんにお手伝いをもらって、やっと元にもどることができた。それでもまだ自分たちで管理はできず、他人頼みだ。早く自立できるようにならないと。

この間にもいろいろなことはあった。その2つ3つ。

今年は文科省助成からもれてしまった。だからと言って、少なくとも3年は・・と始めた「震災と教育研究会」を止めることはできない。金をかけないでつづける工夫をしながら研究の実をふくらませなければならない。

昨日は、戸倉との関係で登米(とよま)に行ってきた。戸倉の避難時に受け入れ側としてどんな動きがあったのかの聞き取りだ。行く直前に助成ペケの通知を手にした。でも、そんなことで止めていられない。2時間ほどの聞き取り、町の人々の善意に満ちた動きの話には、たいへん気分のよい時間を過ごすことができた。

5月26日のシンポジュームの「地域と学校」は80人ぐらいの参加だった。どうしても津波被災地が主になる話ですすんだが、震災による人々の大きな流動の変化のなかで「地域と学校」をどう考えていくべきか、課せられた課題はまちがいなく大きい。ゆえに、このテーマはこれで終わりにできないこともはっきり言える。